涙の初V「大関照ノ富士」が誕生
「大相撲夏場所・千秋楽」(24日、両国国技館)
関脇照ノ富士(23)=伊勢ケ浜=が12勝3敗で涙の初優勝を飾り、場所後の大関昇進も事実上決まった。碧山(28)=春日野=を寄り切り、3敗で並んでいた横綱白鵬(30)=宮城野=が結びで横綱日馬富士(31)=伊勢ケ浜=に寄り倒され、平成生まれで初めての優勝力士、大関が誕生した。新関脇から2場所通過での大関昇進は1951年1月の吉葉山以来。27日の理事会で正式に「大関照ノ富士」が誕生する。白鵬は史上初の2度目の7連覇と35回目の優勝を逃した。
涙が止まらない。碧山を下して3敗を死守した照ノ富士は、東の支度部屋で祈るような気持ちでテレビを見つめた。そして、同部屋の日馬富士が白鵬を寄り倒した瞬間、付け人の駿馬(しゅんば)と抱き合った。目は真っ赤で、肩を震わせながら「夢みたい。涙が出そうになった」と初優勝の感激に浸った。
11日目に白鵬に完敗して一度は消滅した大関昇進のチャンス。ところが、優勝ラインがどんどん下がると、大関とりが再燃した。24日午前に招集された審判部の会議では、11勝でも優勝すれば大関昇進で意見が統一された。しかし、騒がしくなる周囲に惑わされることなく、目の前の一番に集中した。
「今までで一番緊張した」と言いながら、立ち合いから右を差して左上手をつかむ万全の体勢。力強く引き付けて193キロの巨体を土俵外へ運んだ。3敗目を喫した後も、気持ちを切らさず最後まで勝負への執念を保ち続けた。
結果的に優勝決定戦まではいかなかったものの、「自分としてはもう一番やるつもり、勝つつもりだった」と言い切った。11日目での2差をひっくり返す逆転Vは、必然だったと言ってもいい。
13年3月、入門した間垣部屋が閉鎖となり、駿馬、呼び出しの照矢とともに伊勢ケ浜部屋へ移籍した。当時は幕下だったが、厳しい稽古で潜在能力が開花。「どんどん強くなった。吸収するスピードが速い」と、駿馬が驚くほどの速さで十両、幕内、三役を駆け上がり、さらに大関までつかみ取った。
北の湖理事長(元横綱)は「型をつくって前に出ればいい。体もある」と新時代の旗手に大きな期待をかける。平成生まれで初めての大関は、迷わず平成生まれで初めての横綱を目指して邁進する。