白仁田プロ初先発初星!スタン離脱救った

 「DeNA1‐10阪神」(3日、横浜)

 勝った。5年間の悔し涙とついにお別れだ。6年目でプロ初先発となった阪神・白仁田寛和投手(27)が6回1失点でプロ初勝利を挙げた。打線の援護もあり、スタンリッジの離脱で巡ってきた先発チャンスで“一発快投”。07年度大学・社会人ドラフト1位右腕は笑顔で白星の味をかみしめた。

 試合終了の瞬間、隣にいた久保とがっちり握手。白仁田は笑みをこぼした。今成から手渡されたプロ初勝利の記念球。左手にしっかりと握りしめて、ナインを出迎えた。

 「迷惑しかかけていないので、申し訳ない気持ちでいっぱいです」。07年12月17日。大学・社会人ドラフト1位として入団会見に臨んだ。タテジマを身にまとってから2087日。長くかかりすぎた1勝目に、喜びの言葉を口にできなかった。

 スタンリッジの抹消により、急きょ巡ってきたプロ初先発マウンド。2日に突然、1軍招集の連絡が舞い込んだ。当初は2軍戦で先発する予定だった。準備はできていたが「最初は力んだ」と立ち上がり、石川に右前打を許す。だが、清水が二盗を阻止すると、冷静さを取り戻した。

 昨年まで故障もあり、5年間鳴かず飛ばず。騒がれたのは、黒田(現育成選手)との「オセロコンビ」で1年目のオープン戦序盤まで。それから苦しみ抜いた。2軍戦ですら、大量失点した試合が幾つもある。09年10月のフェニックスリーグ・日本ハム戦で先発し、5回17安打14失点。屈辱以外の何物でもなかった。

 ドラ1の重圧。こんなはずでは…。自分を責めた。背番号も3年目のオフには入団時の47から64に変更となった。肩身の狭い日々。精神面での弱さも指摘された。「ブルペンエース」と揶揄(やゆ)された時期もある。

 背水の思いで臨んだ今春、オープン戦で6番手の先発争いに敗れた。これだけ頑張っても…。心が折れそうになった。それでも、もう一度、自分を奮い立たせた。

 殻を破るため4月にワインドアップに挑戦した。「189センチの体に躍動感を出すため」。技術的、精神的に試行錯誤を繰り返した。ウエスタンでは防御率2・32と結果を残し、迎えたこの日の代役先発だった。

 最大のピンチは六回。無死から連打を浴び一、二塁。「引っかけてくれれば」と中村を143キロ内角直球で遊ゴロ併殺打に。6回を投げて、暴投による1失点。プロ初先発で初勝利を手にした。

 和田監督は「これでひと皮むけてくれれば。もう1回見たいなという投球をしてくれた」と6年目右腕の力投を称えた。

 今後は1度、登録を抹消され、次回登板に備えることになる。「チャンスを生かして頑張りたい」と気を引き締めた。記念球は感謝する両親に届ける。長く耐え忍んできたドラ1右腕が今、スタートラインに立った。

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