ドラ4梅野、最愛の母に捧ぐプロ初安打
「巨人12‐3阪神」(30日、東京ド)
バットを振り抜くと、無我夢中で走った。白球が三遊間を破る。黄色く染まった左翼席がうねる。初安打。阪神・梅野がプロとしての第一歩を踏み出した。
六回2死、代打で登場。大竹の初球だった。低めの140キロを捉えて、鋭いゴロで左前に運んだ。「積極的に打つのは決めていた。打つ方ではスタートを切れたと思う」。プロ4打席目。阪神の新人で唯一、開幕1軍に残った新星が初めて「H」ランプをともした。
最愛の人に届ける一打だ。小4の時、母・啓子さん(享年34)を亡くした。泣きに泣いた。だが、のちに父・義隆さんから伝え聞いた母の願いはプロ野球選手になること。以降、家族の前では絶対に涙を見せなかった。
母の思いを背負い、福岡でプレーしたアマ時代から結果を求めてきた。神宮大会、日米大学野球でのホームランボール。記念球は全て福岡市内の自宅にある母の仏壇に供えてきた。今では記念ボールは数え切れないほど集まった。母の念願だったプロとして初の記念球も、もちろん母の霊前に届ける。
ただ、初安打の喜びはつかの間だった。マスクをかぶってから3回で8失点。「次があるか分からない状況の中なので、一回一回の出番が勝負。出た時に投手をうまくリードできなかったのは悔しい」と表情を曇らせた。
必ずやり返してくれるはずだ。幼少期から負けん気は強かった。小学校の時。リードを許した相手に、激しいヤジを飛ばされたことがあった。ひどい罵声に保護者の怒りもピークに達する中、梅野は直後に満塁本塁打を放ち、相手を黙らせた。
これまで悔しさはプレーで返してきた。同じ失敗を繰り返すつもりもない。この日の経験は正捕手獲りへの糧とする。