久保田引退「JFKと呼ばれて幸せ」

 阪神・久保田智之投手(33)が3日、西宮市内の球団事務所で引退会見を行った。今年2月に右肘を手術し、思うように投げられなかったこともあっての決断。2度のリーグ優勝に貢献した中、05年は「JFK」の一人として活躍。07年にはプロ野球記録の90試合登板を達成した剛腕がタテジマを脱ぎ、新たなスタートを切る。

 悔いのない野球人生だった、とは言い切れない。できることなら、まだ戦いたい。やり残した思いもある。けれど、幸せな野球人生だった。涙はなくても、ゆっくりと丁寧につないだ言葉に実感がこもる。入団12年目の秋、久保田がタテジマに別れを告げた。

 「野球に対して未練もありますし悔いは残っていて。その中でもこの世界なので、ムダではないですけどケガと付き合いながらやれる世界ではないので」

 最後に決断したのは9月末のこと。今年の2月に右肘を手術。懸命にリハビリに取り組んだが、思うように状態が上がらず今季は1軍登板なし。「このまま現役を続けるのであれば、この状況では厳しいということなので」。剛腕で鳴らした右腕に、かつてのような迫力を宿せない。それが理由だった。

 ここ数年はケガの影響で思うように過ごせなかったが、2度のリーグ優勝を経験。入団した03年に続き、05年には抑えとして2年ぶりの優勝に貢献した功労者だ。特に05年は、藤川、ウィリアムスとともに「JFK」と呼ばれ、球界に大きなインパクトを与えた。

 「ジェフと球児と一緒に『JFK』と呼ばれて、全国の人に知ってもらえて幸せでしたし、そう呼ばれるのも周りの人がいたからこそ、そうなれたんで」

 荒ぶる感情を、抑えることなくそのままボールにぶつけるようなスタイル。どこかスマートさを感じさせた藤川、そして左腕のウィリアムスと絶妙なバランスを保ち、伝説的なリリーフトリオとなった。さらに07年には、プロ野球記録の90試合登板を達成。今後も破られることはないであろう記録だ。

 「優勝から遠ざかると、あの時に優勝できた気持ちは、優勝したチームにしか分からない、うれしさがある。僕自身はもう優勝はないですし、でもこれから先、タイガースがもう一度優勝してくれると願って、信じてます」

 手が届かなかった日本一。05年から遠ざかっているリーグ優勝。自身の今後はまだ未定だが、残した思いは仲間に託す。全力で駆け抜けてきた12年。記憶にも残る偉大な投手だった。

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