千葉で思う、11年前の「あれ」
「交流戦、ロッテ7-2阪神」(9日、QVCマリンフィールド)
ロッテのボビー・バレンタインが甲子園で宙を舞った夜、阪神・金本知憲は2人の後輩に声を掛けた。「明日の晩、空けておいてくれんか…」。中村豊と田中秀太。よほど気を許せる者としか顔を合わせたくない、そんな日だった。二つ返事で先輩の意を汲(く)んだ中村と田中は翌日、伝えられた店に集まった。兵庫・西宮市内のバーでささやかな慰労会…いやまだ失意の癒えない晩さんでは何杯ビールをつがれても、心の底から笑えなかった。金本はぽつりと言った。「あれはやられたな…」。
2005年の秋。この年の日本シリーズがあっけなく閉幕したことは振り返るまでもない。2位中日に10ゲーム差をつけ、貯金33でセ・リーグを制した強虎だったから衝撃も大きかった。相手はパ・リーグ2位から進出したチーム。のちに金本は「自分の中にスキがあったかもしれない」と語ったことがある。
「あんな現象、あの年以来一度もないですよ。焼き鳥屋さんの煙でもたちこめてきたのかと思いましたから」。この日の試合前、QVCの記者席でロッテ広報担当の梶原紀章と当時を懐かしんだ。サンケイスポーツの阪神担当を経て05年1月に千葉ロッテに転職した彼とは旧知の仲。七回濃霧コールドでロッテが制した05年のシリーズ初戦を思い起こし、梶原は「あのシリーズは初戦のあれがすべてだった…かもしれませんね」と振り返った。
梶原が言う「あれ」とは、スイープの予兆ともなった「濃霧」のことではない。千葉マリンスタジアム(現QVCマリンフィールド)で初めて開催されたシリーズ初戦の初回、阪神の攻撃。1死一、二塁で清水直行から4番金本が放った中前へ抜けようかという打球が、ロッテ遊撃手の素晴らしいポジショニングによって阻まれた併殺プレーのことだ。
「よく覚えていますよ。バレンタイン監督から二塁ベースの後ろで守って『金本シフト』を敷くように言われていました。金本さんが併殺のない選手だと知っていましたから記憶に残るプレーです」。セ・リーグMVPの主砲がシリーズ4戦13打数1安打。金本の出ばなをくじいた西岡剛にとって、プロ野球人生で忘れられない1シーンになったという。
金本が西宮で中村と田中に「あれはやられた」と漏らした「あれ」も、もちろん西岡のポジショニング。千葉に来れば11年前を思い、反射的に手綱を締め直す-。それは明大の後輩高山俊に指示を出す外野守備走塁コーチの中村も、横田慎太郎の担当スカウト田中も同じ思いのはずだ。ロッテに3連敗。監督として千葉に戻ってきた金本は前途を覆う濃霧をどう切り開くのか。=敬称略=(阪神担当キャップ・吉田 風)