福原万感8度舞い 最後まで直球勝負「感謝の言葉しかない」
「阪神6-0巨人」(1日、甲子園球場)
みんなの顔がかすんで見えた。マウンドが涙でにじむ。阪神・福原は思いきり身を委ねた。「みんなには感謝の言葉しかないです」。いつも支えられた。8度舞った青空。幸せだった。今までありがとう。思いがこみ上げた。
出番は八回だった。金本監督に「思いきって投げろ」と託された。ファンは待っていた。高まるムード。歓声が途切れず、2球続いた直球にどよめく。フィニッシュは3球目の142キロ直球。立岡の打球が左翼へ。「これで最後だなと」。拍手と歓声が最後のアウトを教えてくれた。目が赤く染まる。涙を拭い、ベンチに下がった。
「やっぱり最後のマウンドだと思うと、辛いというか寂しくて」
自然と残った寂しさ。決断まで何度も心が揺れたから。きっかけはあった。8月の2軍戦。思うようにアウトを取れない。味方の失策の後に踏ん張れない。「エラーの後を抑えられなかったりして」。仲間を救いきれない自分。情けなかった。
「引退しないといけないかなと。本当は、6月ぐらいに1軍に上がれなかったら…とも考えてて」
そう思っても簡単に線は引けない。最後を思い、悩んだ。「終わりなのか、まだできるのか」。考え、何度も感情があふれた。自宅でも、車の中でも、時には鳴尾浜で涙をためながら練習していた。
「どこかで辞めないとというのはあっても、いざそうなると寂しいし悲しいし辛くて」
何度も自分に問いかけ、気持ちを固められた。悲しくても幸せだったから。カベを乗り越え、ここまで来れたから。02年に右肩関節唇損傷修復手術。「もう投げられないと思った」。そこから復活したが未勝利に終わった10年に「辞めようと思った」と引退を覚悟。悦子夫人にも「辞めるかもしれない」と話した。でも、そのたびに救われてきた。
「手術後はリハビリ担当の方。引退を覚悟した時も多くの人がアドバイスをくれた。そして家族のおかげ」
苦しい時、いつも誰かが助けてくれた。苦労を知るから人に優しくなれた。自然と集まる人望。みんな分かっている。仲間やファンが福原を思って涙した最後の日。誇れるものがそこにあった。
最後はグラウンドを一周して声援に応えた。感動をありがとう、と声が飛ぶ。でも、福原の思いは逆だ。「たくさんの方々の支えがあってタイガースのユニホームを着れたと思います」。いつも励まされた。だから投げられた。18年間、ありがとう。ファンを愛し、愛され、大好きなタテジマに別れを告げた。