金本監督、星野氏は「関西の父親だった」 亡き闘将の思い胸に恩返し誓う
楽天・星野仙一球団副会長が、4日午前5時25分に膵臓(すいぞう)がんで死去していたことが6日、球団から発表された。70歳だった。現役時代に中日のエースとして活躍した星野副会長は、引退後は中日、阪神、楽天の3球団で監督を務め、4度のリーグ優勝、2013年には楽天を日本一に導いた。6日に近親者のみで密葬が行われ、後日、お別れの会が予定されている。阪神・金本知憲監督(49)はこの日、兵庫県西宮市内の球団事務所内で会見し、恩人への思いを語った。
間違いであってほしい。強く思った願いはかなわない。待っていた辛すぎる現実。金本監督は時折視線をさまよわせながら、懸命に思いを発した。突然の訃報の衝撃は、あまりに大きすぎた。
「昨日の夜遅くにちょっと噂を聞きまして。朝、正式に聞くまではウソであってほしいなと思いながら夜中、何回も目が覚めたりしたんですけど。いまだに受け入れられないという感じはあります」
星野さんがいてくれたから今の自分がある。FA権を取得した02年、熱い情熱で口説かれた。「星野さんが監督じゃなかったら間違いなくタイガースに来てないと思います」。阪神で2度のリーグ優勝を経験し、15年オフには監督に就任。恩人への感謝は尽きない。
「2回も優勝させてもらって本当にいい思いをさせてもらったのは星野さんのおかげだと思ってますし、僕の中では関西の父親代わりみたいな方でした」
最後に言葉を交わしたのは昨年12月1日、星野氏の殿堂入りを祝う会でのこと。「『しっかりぶれずに自分が思うようにがんばって、絶対阪神は強くなるから』と。『辛抱してやれよ』ということは言っていただきました」と振り返る。また、星野氏がその会の最中、ファンに対して「もう2年ぐらい(優勝は)待ってください」と呼びかけたことに愛を感じた。
「あと2年という期間を口で言ってくれて、どっしりやれよというメッセージだなと僕はそう思ってます。僕をかばうつもりで、2年というのを出してくれたんじゃないかなと思います」
いつも気にかけて、優しく見守ってくれた。「タイガースの一番いい時代を作るきっかけとなった方なんで」。今はまだ受け止められないが、学んだことはずっと忘れない。
「2003年は星野さんの野球で勝ったわけですから、少しでもいいところは生かして、常に胸の中に思いながら戦っていきたいなと思います。感謝しかないですけど、これから見守っていってほしいなと思います」
星野氏が願ったのは、阪神と楽天の日本シリーズ。情熱を注ぎ、タテジマに全てをかけた星野氏のように戦う。恩返しはこれから。必ず、天国で見守ってくれるから。