矢野2軍監督 闘将・星野イズム継承誓う「星野さんの教え 染み込んでる」

 阪神は8日、兵庫県西宮市の甲子園室内練習場で、4日に膵臓(すいぞう)がんで死去した元監督の星野仙一氏(享年70)を追悼し、金本知憲監督(49)ら球団首脳陣、スタッフら約80人が黙とうをささげた。おのおのが闘将イズムの継承を誓う中、矢野燿大2軍監督(49)は故人をしのびながら、闘う姿勢を前面にしたスタイルで、チーム作りを進めていく覚悟を明かした。

 室内練習場から、球場に向かって頭を下げた。金本監督らが星野氏をしのんで1分間の黙とう。目を閉じれば胴上げの歓喜が…いや、怒声に歯を食い縛った日々が浮かぶ。「最後に顔が見たかった」。矢野2軍監督は無念さを思い、早すぎる別れを悔やんだ。

 20年の現役生活。常に星野氏との闘いだった。同氏が中日の監督を務めていた1997年オフ、交換トレードで阪神に“放出”された。レギュラーに定着したが、02年には星野氏が阪神監督に就任。「またトレードか…」と不安を募らせたが、反骨心と危機感を原動力にした。

 「星野さんは出してあげたという気持ちだったと思うけど、オレの中では出されたと思っていたから。倒したいと思っていたし、モチベーションだった」

 特に捕手には厳しかった。今でこそ御法度だが、鉄拳制裁は日常茶飯事。投手を前にした愛のムチは「気持ち悪いかもしれないけど、うれしかった」と言う。「投手を守ってやれ」-。拳に愛情を感じた。昨年4月4日のヤクルト戦。藤浪の死球を巡って乱闘が起きた。作戦兼バッテリーコーチだった矢野2軍監督は、バレンティンに応戦して退場となったが、とっさに出た行動だった。

 「自分としてはよかった。星野さんの教えやから。染み込んでいる」。星野氏が楽天で成し遂げた日本一は「複雑だった」と言う。阪神で果たせなかったからこそ思いをつなぎ、悲願に向けて戦う。

 金本監督も同じだ。「夜になるとついつい思い出してしまうね」。目を閉じ、亡き師に誓う。1、2軍の両監督が、闘将イズムで頂点を目指す。

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