【私と甲子園】阪神・嶋田宗彦スコアラー 結果は偶然ではない
今年8月、甲子園で第100回全国高校野球選手権記念大会が開催される。過去99回の歴史の中で、大会を彩ってきた元球児の阪神関係者が高校時代を振り返る「私と甲子園」。第1回は、79年に公立校として唯一の甲子園春夏連覇を果たした箕島の嶋田宗彦さん(56)=現阪神スコアラー=です。名門の「1番・捕手」が今も鮮明に覚えている試合とは。79年夏、高校野球史に残る激闘だった。
嶋田さんが在学中の箕島は黄金時代だった。3年間で春2度、夏2度の甲子園出場。3年時には春夏連覇を達成した。通算16試合の中で、忘れられない試合がある。史上最高の試合と言われる79年夏3回戦・星稜(石川)との延長18回の死闘だ。
尾藤公監督の下、79年センバツを制し、同年夏も優勝候補として出場。強豪・星稜との一戦は、一進一退のまま延長戦へ突入した。
星稜は延長十四回に隠し球でピンチを脱出。延長十六回には、2死からファウルフライを追った星稜の一塁・加藤が転倒後に箕島・森川が同点弾。高校野球のドラマが凝縮されたような試合の中で、嶋田さんも激戦を彩っている。
延長十二回表。箕島は二塁失策で1点を勝ち越された。その後、三振で3アウト目を奪うと、捕手の嶋田さんは本塁付近へたたきつけるようにボールを投げた。
「ここで敗れたという姿を見せたくなかったし、まだいけるという気持ちでした」
十二回裏2死。敗戦目前で打順が回ってきた嶋田さんは、打席に入る前、尾藤監督の元へ向かった。
後々、何度も取り上げられたこの場面。「本塁打を狙っていいですか?」と言った説と、「本塁打を打ってきます」と言ったという説がある。実際は…。
「本塁打を打ってきます、と言いました。監督は腕を組んで『うん!』という感じで。尾藤スマイルではなかったと思います。さすがに追い詰められていたんじゃないかな」
狙っていたカーブを捉え、左翼ラッキーゾーンへ起死回生の同点弾。この試合の後、夏も頂点に立つ箕島の底力を示す代表的な場面となった。
嶋田さんは甲子園の全16試合で安打を放ち、通算打率・409。箕島の中でも突出した成績を残した。聖地で活躍した選手は、「甲子園が力以上のモノを出してくれた」と話すことが多い。だが、嶋田さんの考えは違う。
「日頃の成果だと思います。箕島は本当にみんなが隠れた所でよく練習していました。私も体が小さくて細かったので人の2倍、3倍は練習したという思いがありました」。努力で培った実力と自信-。結果は偶然ではなかった自負がある。
後輩には母校の再興を期待する。今年は節目の100回大会。「待っていますよ!」。13年夏以来となる出場を心待ちにしている。
◆嶋田 宗彦(しまだ・むねひこ)1962年2月17日生まれ、56歳。和歌山県有田市出身。169センチ、73キロ。右投げ右打ち。捕手。箕島から住友金属を経て、84年ドラフト4位で阪神に入団。プロでは8年間で通算300試合に出場。92年に現役を引退後、阪神で1軍ブルペンコーチなどを歴任し、12年からスコアラーを務める。