【私と甲子園】智弁和歌山・中谷コーチ 同級生の苦投がよみがえった97年夏の決勝

 高校野球を彩ってきた元球児の阪神関係者が、高校時代を振り返る「私と甲子園」。第4回は、智弁和歌山で97年夏に同校初の全国制覇を果たした中谷仁さん(39)=現智弁和歌山コーチ=です。決勝は、同大会で注目を集めた平安(現龍谷大平安)の左腕エース・川口知哉投手(38)=元オリックス=と対戦。さまざまな感情が交錯した思い出深い試合となりました。

 高校生活最後の試合に勝てば全国制覇。絶対に勝つ。中谷は覚悟を持って臨んだ。ただ、拭いきれない複雑な気持ちもあった。脳裏には1年前の春の記憶がよみがえっていた。

 2年生だった96年センバツ。同級生エース・高塚とバッテリーを組み、決勝へ進出した。だが、2回戦から4連投の高塚が、鹿児島実に打ち込まれて準優勝に終わった。

 97年夏の決勝で対戦した平安のエース・川口は、1年前の高塚と同じ状況だった。準決勝までに投げた球数は663球。序盤から疲労は見て取れた。

 「どこかでつらいなあと。一捕手、一選手として、エースが一人で投げ抜いてきたチームと戦うことに、難しい感情がありました」

 試合では勝負に徹し、主将としてチームを鼓舞し続けた。五回に逆転を許した後、七回に同点として八回に勝ち越し。その頃、マウンドの川口の表情は、1年前の高塚の表情とダブって見えた。

 「汗をかきながらね…。勝ちたいけど、早くゲームが終わってくれ、と思っているような表情が印象的でした。高塚も同じような表情をしていたなと」

 くしくも96年春の決勝で鹿児島実に敗れた3-6のスコアとは逆の6-3で頂点に立った。「個人的な思いですが、川口に対するリスペクトや、敵ながらすごいな、と気持ちを持って戦ったという記憶はあります」。96年センバツ後に右肩を痛めた影響で、97年夏の甲子園は1試合しか登板できなかった高塚への思いもあり、忘れられない試合となった。

 全国制覇は人生のターニングポイントだった。97年ドラフト1位で阪神から指名を受け、プロで15年間プレー。充実した野球人生のように見えるが、“肩書”に重圧もあった。

 「甲子園の優勝が、僕の評価を押し上げてくれたと思う。でも、自分一人で日本一になったわけではないのに、『ドラ1の中谷』、『あの強かった智弁和歌山の中谷』と言われて。重圧になっていましたね」。それでも母校のコーチとなった今は、笑顔で振り返ることができる。

 野球人生を振り返れば、いつも甲子園が背中を押してくれた。楽天在籍時の09年は、阪神との交流戦で能見からプロ12年目の初本塁打を放った。「高校で打てていなくて、やっと打てた。あれでまた頑張れましたから。甲子園とは縁がありますよね」。母校のコーチに就任してからは2季連続で甲子園に出場中。今夏も新たな刺激を求めて甲子園を目指す。

 ◆中谷 仁(なかたに・じん)1979年5月5日生まれ、和歌山市出身。183センチ、95キロ。右投げ右打ち。智弁和歌山では春夏通算3度の甲子園に出場。97年度ドラフト1位で阪神に入団。楽天、巨人を経て12年に現役引退。プロ通算111試合で、打率・162、4本塁打、17打点。17年4月から智弁和歌山コーチ。

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