【私と甲子園】木戸克彦さん、やんちゃなやつらが結束!!逆転のPL誕生

 高校野球を彩ってきた元球児の阪神関係者が、高校時代を振り返る「私と甲子園」。第11回は、PL学園OB・木戸克彦さん(57)です。78年夏の甲子園では“逆転のPL”という異名がつくほどの逆転劇を演じて、春夏通じて同校初の甲子園優勝を達成。80年代のPL学園黄金時代到来を予感させる全国制覇でした。木戸さんにとってもルーツとなった強豪での3年間を振り返ってくれました。

 ちょうど40年前の夏。PL学園は3度目の決勝で、初めて頂点に立った。劇的という表現だけでは物足りないほど、奇跡的な勝ち上がりだった。その中心が、主将で3番・捕手の木戸さんだった。

 準決勝・中京戦は4点差で九回を迎えた。「正直、負けると思った。でも、これで最後かと思ったら、3年間のきついことを思い出した。もう少しみんなで野球がしたいと、全員が思っていたと思う。そういう雰囲気だった」。5安打で同点とし、延長十二回にサヨナラ勝ちした。

 決勝・高知商戦も2点を追って九回へ。「さすがに今日も、とは思っていなかった」。だが、再び奇跡が起きる。3点を奪って逆転サヨナラ。絶体絶命からのドラマチックな優勝で、PL学園の名は全国にとどろいた。

 なぜ、奇跡が起きたのか。木戸さんは入学時代から回想した。「最初はバラバラだった」。中学時代はエース、4番の選手ばかり。自己主張が強く、けんかは日常茶飯事だった。同級生のまとめ役だった木戸さんも、西田真二(元広島)らと何度もぶつかった。

 そんな個性派集団は、鶴岡泰監督の厳しい人間育成の下、少しずつまとまっていく。「野球だけやって勝たせてくれって、人生そんなに甘くない」。寮では午前4時起床で、トイレ掃除に草むしり。野球を離れると、精神面を鍛えられた。

 練習ではライバルを意識するため、妥協がなかった。エースで4番の西田は、左肘が曲がるほど投げて、大学では打者に転向。5番打者・柳川明弘は千本ノック後に“おかわり”。不運にもその打球が跳ねて前歯を折ったこともあった。

 誰もが肉体的にも精神的にも追い込み、次第に互いを認め合う存在となった。「やんちゃなやつらがまとまったら強かったよ」と木戸さん。最後の夏には一丸となり、土壇場で2度も奇跡を起こした。

 木戸さんは夏の甲子園での記憶は、ほとんどない。だが、それまでの過程は、鮮明に思い出すことができる。

 「女の子と遊んだり、おしゃれしたりすることはなかったけど、めちゃくちゃ厳しかったPLの3年間は、胸を張れる青春やな。人というものを学ばせてもらったし、自分の支えにもなっとる」

 80年代に黄金時代を迎えた母校は、不祥事もあって17年3月に大阪府高野連を脱退。第100回大会には参加しない。「寂しいよなあ」。表情を曇らせながらも、近い将来の“逆転”復活を願った。

 ◆木戸 克彦(きど・かつひこ)1961年2月1日生まれ。大阪府出身。右投げ右打ち。PL学園では78年春夏連続で甲子園に出場。法大を経て、82年ドラフト1位で阪神入団。正捕手として85年のリーグ制覇、日本一に貢献。プロ通算965試合で打率・230、51本塁打、226打点。96年に現役引退後は、阪神ヘッドコーチなどを歴任。現在は阪神球団本部部長(プロスカウト担当)。女子野球日本代表ヘッドコーチも兼任している。

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