西岡が戦力外通告「また新しい経験ができました」【インスタグラム全文1】
阪神の西岡剛内野手が1日に戦力外通告を受けていたことが2日、分かった。西岡は大阪桐蔭から02年ドラフト1巡目でロッテ入団。その後米大リーグ・ツインズを経て、13年から阪神に。今季はここまで1軍では23試合のみの出場だった。
【以下、西岡のインスタグラム全文・1】
10月2日、午前5時50分。アラームより早く目覚めた瞬間の思いを文章にします。昨夜の試合後、家に着いて見あげる夜空、空気は最高に綺麗やったなぁ。
阪神タイガースファン、関係者の皆様へ
今シーズンをもちまして阪神タイガースのユニフォームを脱ぐことになりました。カッコつけた言い方をしましたが、10月1日に戦力外通告を受けました。
また新しい経験が僕にはできました。
戦力外通告を受け、引退すると言えばカッコよく綺麗に去ることができたんだと思うのですが、2016年にアキレス腱が切れた瞬間、甲子園のグラウンドで倒れて引退すると心に誓った僕が、今なおユニフォームを着れている人生です!
僕は、自分から引退すると言って引退できる、そういう野球人生を目標に立てていましたが、またもや目標が達成できなかったです。
またふりだしに戻ります!
朝、目覚めて今日一日の目標を立て、月初めには1か月の目標を立て、年始には今シーズンの目標を立て、引退後の目標までも立てています!
今シーズンの5月から9月までは2軍で過ごしました。
怪我やリハビリ、ルーキーの時を除いて、成績が出ず2軍に落ちたのは初めての経験でした。当時は、すぐ1軍に上がってやる!と意気込んでましたが、1か月経ち2か月たっても上がれない!
年齢も34歳の自分がユニフォーム着てる意味がなんなのかを自問自答する日もありましたが、2軍には僕と同じ気持ちで、戦ってる選手がいっぱいいて、初めてまじまじと2軍の景色を見れました。
若い選手はとにかく夢を追いかけて必死に一日を生きている。
30歳近くで2軍にいると、さまざまなことが頭の中をよぎる中で、不安を抱えながらも家族のため、ファンのため、自分のために必死にしがみついて戦う姿も見ることができました。
2軍では34歳の僕が1番年上で毎日試合に出させていただきました。
2軍に落ちたとき、すぐに立てた目標が最低でも7月27日の誕生日までには1軍に上がることでしたが…。その目標も達成できませんでした。
ちょうどその頃、僕の心の中では2軍でこれから有望な若い選手がいるのに、試合にずっと出ていいのかな?と遠慮する気持ちも芽生えました。いつ、矢野2軍監督に若手を使ってくださいと言いにいこうか迷っていました。そんな気持ちが1週間くらい続いたとき、遠慮の先にあるものは何かと、よく考えました。
それは「引退」の2文字でした。