金本監督が辞任 17年ぶり最下位で…栄光と屈辱の歴史を振り返る
プロ野球・阪神タイガースの金本知憲(かねもと・ともあき)監督(50)が辞任することが11日、明らかになった。2015年オフに就任し、「超変革」を掲げて戦ったものの、期待した若手はなかなか継続して結果を出せず、選手の負傷や外国人選手の見込み違いにも泣かされた。16年は4位、17年は2位もクライマックスシリーズのファーストステージで敗退、今年はチーム17年ぶりの最下位という屈辱にまみれた。
「アニキ」、「鉄人」と親しまれ、球史に残るスラッガーとして栄光に包まれた現役時代と、思うに任せなかった監督生活…金本監督の経歴を振り返る。
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金本監督は1968年4月3日生まれ、広島県出身。現役時代は右投げ左打ちの外野手だった。身長180センチ、体重87キロ。血液型O。
広陵高から東北福祉大を経て、91年度ドラフト4位で広島に入団した。背番号は「10」。94年後半からレギュラーに定着し、96年には打率が初の3割に到達。00年には史上7人目のトリプルスリーを達成した。95、00、01年にベストナイン選出。
03年に阪神へFA移籍し、同年と05年の優勝に大きく貢献。04年に打点王を獲得し、05年にはMVPに選ばれた。04~06、08年にベストナイン選出。広島、阪神を通じて弟分・新井貴浩とのコンビでも愛された。12年に現役を引退した。
通算成績は2578試合(歴代8位)、打率・285、2539安打(歴代7位)、476本塁打(歴代10位)、1521打点(歴代8位)。99~10年の1492試合連続フルイニング出場は世界記録。18年には競技者表彰で野球殿堂入りを果たしている。
13~15年のデイリースポーツ評論家を経て、16年から阪神第33代監督。監督としての成績は、16年が64勝76敗3分で4位。17年が78勝61敗4分で2位、クライマックスシリーズはファーストステージ敗退。今年は1試合を残して61勝79敗2分で、17年ぶりの最下位が確定している。