【阪神ドラフト選手紹介・小幡竜平(下)】兄の背中の先にプロへの道が
今秋のドラフト会議で阪神から指名を受けた7選手(1~6位、育成1位)を紹介。今回はドラフト2位・小幡竜平内野手(18)=延岡学園=に迫る。
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憧れ続けていた“小幡のお兄さん”を。
最大の目標であり、最高の道しるべだった。7つ上の兄・和弘さんと同じ延岡学園のユニホームを身にまとい、同じ遊撃の位置で汗を流す。すると1年秋からレギュラーに定着。2年秋からは4番を任されるほどになった。存在感を示し、迎えた17歳の春。憧れた舞台に足を踏み入れることに。ついに、甲子園行きの切符をつかみ取ったのだ。
兄・和弘さんは2年夏、遊撃の控え選手としてベンチ入りし、県大会優勝を経験。それでも甲子園を目前にベンチ外へとなってしまっていた。兄の思いも背負って挑む聖地での戦い。小幡4兄弟で、初めて竜平が甲子園の土を踏んだ。すると初戦の国学院栃木戦では、一時同点となる適時打をマーク。敗れはしたが、家族全員の見守る前で躍動した。
最後の夏-。
初戦となる県大会2回戦で宮崎工と対戦。父・正樹さんは応援に駆けつけ、母・能夫子さんは仕事のため不在…。週末に行われる次戦は来る予定とあって、何が何でも勝ちたい試合でもあった。それでも、なぜだかバットが湿る。5打席無安打。焦りが募る。すると、3点を勝ち越された延長十二回裏だった。4番が放つは、反撃の2ランアーチ。最後の、最後で意地を見せるも、チームはあと一歩届かなかった。「迷惑をかけてしまった」。4番としてのふがいなさ、胸をつく最後という現実。涙が止まらなかった。
物心ついたときから共働きだった両親へ、思いは届かなかった。能夫子さんは職場でチームの敗戦を知ったという。試合後には、赤くにじんだ瞳の息子・竜平から父へ。ホームランボールが手渡された。
「ごめん、勝てんかったわ…」
母へは真っ先に電話をした。振り返れば、大分から単身で送り出してもらった宮崎の地。不安は不思議となかった。記憶によみがえるのは「(強豪校は)厳しいぞ」という父の言葉。兄は甲子園出場がかなわなかった。それでも「延岡で頑張る」。言い切った言葉にうそはなかった。3年間励み続けた努力で、プロの世界へ。ドラフト当日は「まさか2位で指名されるなんて…」と、驚きを隠せなかった。何度も、何度もパソコンで自分の名前を確かめた。
「阪神 小幡竜平」
不安だった感情が一瞬で吹き飛ぶ。支え合ってきた仲間60人を前に、目には涙だ。続いていたのはプロへの道。「兄を超えたいという気持ちでずっとやってきた。ちょっとは超えられたかな」とニヤリ。そして、続けた。「次はプロで活躍できるように頑張りたい」。新たな目標を胸に、今度は阪神・小幡として足跡を刻む。
◆小幡竜平(おばた・りゅうへい)2000年9月21日生まれ、18歳。大分県大分市出身。181センチ、73キロ、右投げ左打ち。大分明野ボーイズで硬式野球を本格的に始めると、延岡学園に進学。1年秋からレギュラーをつかみ、2年秋からはチームの主軸・4番に。3年春には選抜大会で甲子園を経験したが、初戦敗退。最後の夏は、延長十二回に2ランを放ち追い上げを見せるも、2回戦の宮崎工に7-8で敗れた。高校通算24本塁打、50メートル6秒1の脚力、遠投110メートルの強肩。走攻守三拍子そろった大型遊撃手。