【阪神ドラフト選手紹介・川原陸(上)】母と二人三脚でつかんだ日本代表
今秋のドラフト会議で阪神から指名を受けた7選手(1~6位、育成1位)を紹介。今回はドラフト5位・川原陸投手(17)=創成館=に迫る。
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母からの願い、思いが込められていた。
「大陸のような大きな男になってほしい」
2000年12月12日。川原陸は誕生した。野球をやっていた父の影響で、小学1年の頃からソフトボールを始めた。1歳上の兄・豊さんと時間を見つけては父とキャッチボールした。4年生になると西山少年野球団で軟式野球を始めたが、小学5年の頃に両親が離婚した。
突然のことだった。だが、反抗期は一度もなく、家族を困らせることはなかったという。母・えりかさんは「父親代わりに私がならないといけない」と、自宅の敷地内にティー打撃用のネットを設置し、トス役を買って出た。野球は素人。だが、息子のためにボールを上げ続けた。
「お母さん、投げ方ヘタだよ~」
陸が意地悪そうにほほ笑む。絶えることのない笑顔が、親子の絆を深めていった。17年間の中のわずかな時間。それでも大切な思い出だ。家に帰れば、ハンバーグにオムライス…。大好物を作り、待っていてくれる大好きな母の姿があった。
そんな川原家の転機になったのは、陸が長崎北リトルシニアに進んだ中学2年生の頃。公式戦初アーチを九州選抜の釘谷監督が視察していた。一瞬で目に留まり、中学3年生の夏には投手兼野手として日の丸を背負った。
背番号「18」
長崎北リトルシニアの監督から親子で呼ばれ、日本代表入りを告げられた。あまりにも予想外の出来事で、状況がよく理解できない。まず出てきた言葉は、母の「本当に、陸でいいんですか?」だったという。それでも無邪気に笑う母を見て、うれしさは倍増した。
母方の祖父母主催で開かれた川原家の祝賀会。野球ボールをかたどったケーキに、ごちそうがズラリ。サプライズプレゼントもあった。祖父母お手製の大きなくす玉が目の前に。「祝 陸おめでとう」-。兄弟みんなでひもを引くと、いくつもの笑顔が生まれた。
母と歩んだ少年期。時は、夢をかなえる高校時代へと移りゆく。待ち受けていたのは、初めて親元を離れる寮生活。寂しさは募った。それでも「何らかの形で、家族に恩返しがしたい」と陸。名門の長崎・創成館へ。失敗、涙と共に進んだ道に、希望の光は小さく宿っていた。
◆川原 陸(かわはら・りく)2000年12月12日生まれ、長崎県出身の17歳。184センチ、80キロ。左投げ左打ち。小学1年の頃からソフトボールを始め、その後は西山少年野球団で軟式野球、中学は長崎北リトルシニアでの硬式野球を経て創成館へ。昨秋の明治神宮大会では準優勝。今春の選抜は8強で夏は初戦敗退。