【藤原オーナーインタビュー(中)】一家言持ってらっしゃるファンに応えていかないと

 昨年12月に就任した阪神・藤原崇起オーナー(66)がこのほど、大阪市内の電鉄本社でデイリースポーツの取材に応じ、矢野燿大新監督(50)の方針に共感し、信頼を口にした。就任1年目からチームを全面的にバックアップし、最下位からの巻き返しを後押ししていくことを約束した。今回は第2回。

  ◇  ◇

 -野球への興味は。

 「私が小学校低学年の頃、各家にテレビが普及し始めて、相撲はよく見ましたね。父親はトランジスタラジオを買ってナイターを聞いていましたが、私は…。あの頃は力道山、プロレスを見ていました。そんなん見たらあかんって怒られたことを覚えていますね」

 -野球にのめり込む感じではなかった?

 「明石に住んでいると、明石-中京の延長二十五回(※注1)がありましたし、(プロなら)小山さん、山内さん、金田さんたちはすごいな、と思いました。野球全般に興味がありましたね」

 -入社後のタイガースとの関わりは。

 「大津淳さん(※注2)のお話はよく聞きましたね。大津さんは85年に優勝した時の営業部長でして、その年に初めてお会いしました」

 -入社後の経歴は。

 「私が入った時は鉄道中心の会社でした。割と、現場は任せるというのがありまして、私は入社5年目で御影駅の駅長になりました。きちっとしたベテランの方を付けていただきましたが、どんな問題が起きてもやっておけ、と。(指示は)何もないですよ。自分で考えてやる。私は30歳前でしたが、みんな支えてくれました。現場は『若造が来てるんやから(文句を)言ったんなよ。正論なら聞いてやろう』と。正論というのは何だ、というのを自分なりに考えました。早くから自分で目標を決めて結果を出すということには責任を持つことを学ばせてもらいました」

 -オーナーという立場になった。

 「阪神電車で役員になり、いろんな方とお付き合いするようになって、その中に素晴らしい阪神ファンの方がいらっしゃいます。みなさん一家言を持っていらっしゃる。そういうことにも応えていかないといけないですね」

 -趣味は。

 「現場ばかりで時間はなかったのですが、いろんなことはやりました。家の前が海なので、カヌーを買ってきてこいだこともありました。のりを養殖しているブイにカモメが止まるんですよね。羽根休めのために。近づいてみると、カモメってとても大きいんです。カラスなんて比べものにならんぐらい。ああいう物にはすぐ興味を持ちますね」

 -好奇心が旺盛だ。

 「その後、49歳になってオートバイの免許を取りました。今は乗っていませんが、十何年は乗りました。四国へはよく行きましたね。何でも新しいことをやるのが好きでして。だから、好奇心旺盛な人はいいですよね。(ノーベル賞を受賞した)本庶先生が『好奇心が大切だ』とおっしゃっていましたよね。こうしたらどうなるのだろうとか、一回見に行ってみようとか。そういうようなことは新しい考え方に変わる一つになるのかもしれませんね」

 注1…1933年夏の甲子園準決勝の中京商(現・中京大中京)-明石中(現・明石)戦。延長二十五回に中京商がサヨナラ勝ちして決着がついた。春夏通じて甲子園の延長戦では史上最長記録となっている。

 注2…明石、関大、日本生命を経て55年に阪神入り。1年目の56年からレギュラーとなり、61年まで6年間、プレーした。

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