【あの時…虎戦士回顧録】佐野仙好氏 猛虎最強の1985年、今も鮮明に残る3打席

 1935年の球団創設から84年。阪神には85年の日本一や、暗黒時代など多くの歴史がある。時代のシンボル的な存在を支えた人たちが、当時を振り返る企画「あの時は…」。阪神が球団史上初にして唯一の日本一に輝いた1985年、3番・バース、4番・掛布、5番・岡田の超強力クリーンアップに続き、主に6番を打ったのが佐野仙好氏(67)。現在は球団本部スカウト顧問の要職に就く佐野氏が、虎党歓喜の年を振り返ってくれました。

  ◇      ◇

 あれから、もう30年以上がたつんですか。昔のことなんで記憶がずいぶん薄れていますねえ。でも、今でも覚えている打席が3つあるんです。

 時系列的にいくとひとつ目は4月17日、甲子園の巨人戦(※1)。そうです、あのバックスクリーン3連発の直後の打席です。みなさんに“狙っていたのか”なんて聞かれますが、そりゃ打者として続きたい、狙ってやろうという気持ちはありましたよ。

 一方で、僕は甲子園では練習だってバックスクリーンに届きやしない。そんな力がないことは自分で分かっていましたから。みんなにプレッシャーがあっただろうなんて言われますが、僕自身はそこまでじゃなかったと思います。前があれだけ打ってくれたし、凡打しても次打てばいいやっていう感覚だった気がしますね。そう言いながらも自然と肩に力が入っていたんでしょうね(笑)。結果はショートゴロでした。

 次は5月20日の後楽園での巨人戦(※2)。0-5で負けていたんですが、七回に代打で出て、満塁ホームランを打ったんです。その時の投手が3連発の時と同じ槙原だったんで、“3連発に続けなかった鬱憤(うっぷん)を晴らした”なんて言われますが、全然そんな思いはなかった。

 なぜ覚えているかというと、あの日は確か初めてスタメンから外された日だったんですよ。むしゃくしゃしていたし、思い切って振ってやろうと思ったらカーブが来て…。スカッとしたのを覚えています。

 最後はリーグ優勝が決まった10月16日、神宮のヤクルト戦(※3)。九回に同点で優勝って分かっている中で代打で出されて、あの時だけはね、“こりゃランナーかえさないとベンチに戻ってこられないぞ”って。尾花からセンターへの犠牲フライを打ったんですが、本当にホッとしたのを覚えています。一番プレッシャーがかかったのは間違いなくこの打席です。あのバックスクリーン3連発後の打席の何倍もね。

 それにしてもあの年は強かった。真弓を含めてみんな僕の前が打ってくれましたからね。その勢いに乗って僕もある程度打てたのかなと思いますけどね。

 とにかくチームに勢いがあったけど、シーズン後半になると、お客さんの声援がやっぱりどんどんすごくなってきて、その後押しでさらに勢いが出て、みんな自分の力以上のものを出せたんじゃないかなと思いますけどね。あの年はどこの球場に行っても阪神ファンが多かったですから。

 みんなユニホームを着たら“勝つ”という方向に一丸となって、まとまっていた。そりゃ雰囲気は良かったですよ。みんなちょうど力が出せる年齢だったというのもあったんじゃないですかね。三十前から三十過ぎぐらいで一番力を出せた。みんなあの年にピークを迎えてね。逆に2年後の87年に最下位になった時は、みんなが下がっていく時期だったっていうことでしょう。

 唯一の日本一になったメンバーっていうのは自分としてはすごく幸せですよ。ただひとつ…あの時の日本シリーズでヒットを打ってないんですよ。あー、1本ぐらい打ててたらなあっていうのはありますよね。

 まだ球団の人間ですから、今のチームをどうこうは言えませんね。でも、スカウトとして去年までトップとしてやっていましたからね。若い人たちが頑張ってくれているのはスカウト冥利に尽きますから、うれしいですね。

 ただね、僕らの時代には巨人には負けるな!っていうのがあった。巨人戦はすごいお客さんが来て、新聞も巨人戦で活躍したら1面になって全国的に名前が知られる時代。それもあって巨人戦で活躍しなきゃならん“やるぞ”って選手もなっていた。

 今は勝っても負けても(関西では)1面でしょ。当時は他のチームとの試合ではそこまでお客さんも入らなかった。巨人戦だけ満員でね。今はどこでもほぼ満員でしょ。時代の流れでしょうかね。この先もどんどんやり返してほしいですね。もちろん選手もそう思っているでしょうけど。(元阪神タイガース外野手)

 ※1…2点を追う七回にバースの1号3ラン、掛布の2号ソロ、岡田の1号ソロのバックスクリーン方向への3連発で大逆転。試合は6-5で阪神が勝利。

 ※2…巨人0-5リードの七回。代打・佐野の7号満塁弾で1点差に。さらに真弓の10号2ランでこの回、一挙6点を挙げて大逆転。7-5で阪神が勝利。

 ※3…勝ちか引き分けでリーグVが決まる状況。ヤクルト3-5リードで迎えた九回に掛布39号ソロで1点差に迫り、さらに代打・佐野の犠飛で追いつく。そのまま5-5の引き分けで吉田義男監督が宙を舞った。

◆佐野仙好(さの・のりよし)1951年8月27日生まれ、67歳。群馬県高崎市出身。現役時代は右投げ右打ち。前橋工から中央大を経て、73年度ドラフト1位で阪神入団。同期入団の掛布との三塁レギュラー争いに敗れる形で、77年からは主に外野手として活躍。89年に現役引退。2度のシーズン打率3割を残すなど通算打率は・273。勝負強さに定評があった。引退後は阪神で打撃コーチなどを歴任した後、スカウト職に。現在は球団本部スカウト顧問。

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