梅野に届いた父からの手紙 打率3割目指して頑張れよ もっている男なんだから
2回目のオールスター出場が決まった、阪神の梅野隆太郎捕手(28)へ手紙が届いた。送り主は、最愛の父・義隆さん(54)。小学4年生の時に、母・啓子さんを卵巣ガンで亡くしてから18年がたった。母の夢だったプロ野球選手になるまで父と息子が歩んだ道のり、そして球界を代表する捕手へと上り詰めた息子へ。温かい言葉が紡がれた。
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隆太郎へ-
28歳の誕生日が来て、早いもんでもう、シーズンも折り返しか。今年はここまでサイクルヒットもそうだし、福岡での凱旋ヒーローもあったな。2回目のオールスター出場もおめでとう。あ、あとあれか。足の骨折。写メ送ってきただろう。腫れた指の写真。もう俺、あれ見たときに今年は終わったと思ったよ、今だから言うけどな。ケガの功名ってやつかな。そこから調子が上がってきて、こっちもビックリだよ。
隆太郎が関西に行って、もう6年か。毎日テレビで試合を見るっていうのが、今の俺の日課になったよ。仕事終わって、座ってな。酒飲みながら見るってのが、親父の楽しみです。仏壇にお母さんの写真があるだろう?あれさ、ちょっと斜めに向けてあって、テレビが見えるようにしてあってな。隆太郎が打ったら、俺も横向いて「おい打ったで」って会話しとるよ。
仕事が忙しくて見られない土曜のデーゲームなんかも、録画して見とる。でも今の時代、結果はすぐにわかるから。隆太郎が打ててなかったら、親父は悔しいから、見ずに真っすぐ寝てます(笑)。一日一善じゃないけどな。“一日一本”。それが打てればいいなと思って毎日、隆太郎の様子はチェックしてます。
お母さんが亡くなってからは、本当に必死だった。隆太郎もまだ小学4年生。最後の最後に、「隆太郎をプロ野球選手にしてください。もう私はダメだから」って言うもんだから…。練習終わってからも、試合でどれだけ疲れていても、病院まで顔見せに行ってたから。親は大きな夢の一つや二つ、見ちゃうもんだよな。そのときお母さんには、無理って言ったんだけどね。でも頑張ってみようかって。隆太郎は運がいいからな。俺も、もしかしたらって思ったよ。
それからは、俺も野球バカになったわ。野球のことで怒ったことなんて、一度だってないだろう。今日はどうだったって話しながら食う飯は、ものすごくおいしくて楽しかったから。打ったらよし、悪かったらしゃーないって。それが決まり文句になって、隆太郎との思い出は野球のことばっかりだよ。
隆太郎は覚えているだろうか。体育祭の団長を断らせたことを。
当時の俺は、お母さんの夢に少しでも近づけようと、ただただ必死でな。どうやって毎日過ごしてきたのか、記憶にないくらいなんだけど。いつだっただろうか。隆太郎が、体育祭の応援団長になったって帰ってきてね。それを聞くなり、俺は「そんなもんやるな」、「今すぐ断ってこい」って言ったんだ。
隆太郎は恨んでるかもしれないな。でも俺も必死だったよ。中学校から電話もかかってきて、「何でなんですか」って言われたりもした。実はあの後、PTAの会合で俺、めちゃくちゃ文句言われたらしいぞ。最悪な親父になったわけだ(笑)。でも日曜日の練習に、応援団長なら行かないといかん。野球だってある、それにキャッチャーは隆太郎しかおらん。俺の中では、野球以外の選択肢はなかったんだ。ごめんな。
夢をかなえて、今ではチームを背負って。今度はファンの人に愛されて、2回目のオールスター出場か。甲子園での開催。これも何かの縁だろう。選ばれる前から、「せっかくやけん。おいでや」って言ってくれたのはうれしかったなぁ。
義隆と隆太郎。
お前が生まれたとき、お母さんが「長男なんだから、俺の名前から一文字取ったら」って言ってくれた。最近では顔も似てきたって言われるぞ。帰ってくる度に、連れてってくれる食事や買い物。ゴルフもか。俺が肩上がらんって言ってるのに、お前は動けばなんとかなるって言うし。
でも、そんなささいな時間でも一緒に過ごせるだけ、うれしいよ。ボールをぶつけられれば、テレビに向かって怒鳴る。一人で叫んでるわ。それくらい息子っていうのは、いくつになってもかわいいもんだな。ケガに気をつけて頑張るように。打率3割を目指して頑張れよ、隆太郎はもっている男なんだから。