引退の阪神・横田【一問一答1】桧山から受け継いだ「24番」取り返せず「すごく残念」
脳腫瘍からの実戦復帰を目指してきた阪神・横田慎太郎外野手(24)が22日、兵庫・西宮市内で引退会見を開いた。入団時に桧山進次郎から引き継いだ背番号24への思いなどを語った。以下は一問一答の要旨1。
(冒頭)「自分の中で苦しかったので、これが来年も続くようならばと思い決断しました」
-今の心境は。
「自分で決めたことでありますので、全く後悔はありません」
-具体的にはいつ頃、どういった経緯で。
「やっぱり一番に(脳腫瘍の影響で)目の方が大きいです。自分で打った打球も全く見えず、ピッチャーに投げてもらう球も二重に見えたり、守備の際にもボールが二重に飛んで見えたり、目の方がぼやけるということが多かったので、来シーズンこれを続けても厳しいかなと思い、決断しました」
-葛藤は。
「この2年半は苦しかったですけど、自分が野球をやりたいと思って選んだことなので、全く悔いはありません」
-監督、チームメイトに相談は。
「自分で決めました」
-父は同じプロ野球選手、相談の方は。
「相談は少しはしましたけど、基本自分の意志が強かったので自分で決めました」
-決断に父は。
「自分で決めた考えだったので、何も言わず、『これまで本当におつかれさん』という感じでした」
-脳腫瘍を患った時の率直な思いは。
「脳腫瘍と言われた瞬間、頭が真っ白になって不安ではありましたけど、たくさんの方の支えがあってここまでこれたので、本当にみなさんには感謝の気持ちしかありません」
-横田の復帰への思いを支えたものは。
「毎日、練習をやっていたらファンの方がたくさん来られていて、試合にも出ていないにもかかわらず、たくさんの方が僕の応援をしてくれて、存在は大きかったです」
-鳴尾浜での練習中でかけられた言葉で印象的だったのは。
「一日でも早く、試合に出て『24』番を取り返してください、と。自分もその気持ちでやっていましたし」
-入団会見で桧山の「24」番を引き継いだ。その思いは。
「桧山さんという素晴らしい番号でもありますので、最初はすごく僕でいいのかなと思いましたけど、『124』番になってもう一回。取り返してやるという気持ちで今までやってきましたので、すごく残念ですね」
-病を乗り越えた原口の姿はどう映ったか。
「原口さんと一緒に活躍して、お立ち台にという話もありましたし、今でも活躍されているので、本当に素晴らしい存在だと思っています」
-交わした言葉で印象的なものは。
「いっぱいありますけど、何をするにしても前を向いてやっていこうというのが一番印象にありますね」
-6年間を振り返り、一番の思い出は。
「開幕スタメンで試合に出られたのもそうですけど、病気になった2年間半、すごく自分の中でもがいて、苦しんで野球をやってきた2年間半はすごく良い思い出です」
-開幕スタメンの話も。金本元監督、矢野監督の会見で横田の名が出た。
「そこはすごいうれしいですけど、まあ、自分が最後こうやってユニホームを着て活躍したいという気持ちが強かったです」
-16年の京セラドームの開幕戦はやはり印象に残る。
「緊張しました。自分の中で足が震えるくらい緊張しましたし、そこは今でも印象に残っています」
-あのときはプロ初盗塁。
「足が震えたりはしたんですけど、セーフで本当に安心しました」
-次の日のことは覚えているか。
「初ヒットを打ったので、すごくうれしかったです」
-1軍での一番印象に残る打席。
「巨人の菅野投手の球というのは本当にすごいボールだなと覚えています」
-引退後は。
「球団からもお話をいただいていますけど、しっかり両親と考えて(から)にしたいと思っています」