高橋聡独占手記 531試合全てが中継ぎ 最後に球児さんにつなぎたかった…

 ありがとう、幸せでした-。阪神の高橋聡文投手(36)が25日、西宮市内の球団事務所で会見し、今季限りでの現役引退を発表した。中継ぎ一筋、18年。中日、阪神で531試合に登板してきた左腕が、デイリースポーツに独占手記を寄せた。「野球は自分の人生そのもの。野球が全てでした」と晴れ晴れとした表情で、静かに別れを告げる。

  ◇  ◇

 また同じ場面で、同じ選択肢があったとしても…僕はまた、同じ決断をすると思います。阪神に来てよかった、みなさんの声援が大きな力になった。これまで18年間、支えてくださって、応援してくださって、本当にありがとうございました。

 金本さんのために、金本さんと優勝したい。そう思って、僕はタテジマに袖を通しました。口説き文句は、本当に短い言葉で(笑)。「体は元気なんだろう?力を貸してくれ」-と。でも、それだけで十分でした。2015年シーズンを終えて、僕は32歳。中日では少しずつベテランとしての扱いを受けるようになった頃でした。

 首脳陣に言われたのが、「大事な夏場を任せたい」でした。もともとケガをしやすい体だったというのも、もちろんあったと思います。これは優しさなのか?それが正解なのか?この先の生き方、野球人生をいろいろと考えたときに、たどり着いた答えが…「でも僕は、1年間勝負したい」だったんです。だから金本さんの言葉がうれしくて、阪神へ移籍したことに後悔はありません。

 (中日時代の)2010年は、肩がふっ飛んでもいいと思って投げた一年でした。自己最多の63試合に登板し、防御率1・61。シーズン終盤には限界で…それでもマウンドに立ちたかったんです。痛み止めの注射を打って、その夜に投げる。壊れてもよかった。守護神の岩瀬さんにつなぐために投げたボール…そこにはやっぱり勝負したいっていう思いがあったんです。

 531試合、全てが中継ぎとしてのマウンドでした。僕には荒れたマウンドがよかったのかもしれない。守護神につなぐための1球。何時間もかけて練習するのに、たった1球で決まる…それが僕の仕事です。だからこそ、僕は最後に球児さんにつなぎたかった…。もちろん、今の僕ではそのレベルに達していません。でもロッカーが隣同士で、入団当初から温かい雰囲気を作ってくれた球児さんへ。僕の考え抜いた1球で、球児さんを九回のマウンドへと送り出したかったです。

 野球は自分の人生そのもの。寝るときには明日は肩大丈夫かな、起きたときには今日肩大丈夫かな…僕には野球が全てでした。ドラゴンズに育ててもらった14年、タイガースで挑戦し続けた4年。ケガばかりだった自分を、ここまで応援してくれてありがとうございました。幸せでした-。(阪神タイガース投手)

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