練習の鬼・鳥谷がチームを変えた 遊撃争った藤本コーチ

 打撃練習をする鳥谷(1)を笑顔で見つめる藤本コーチ(中央奥)
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 今季限りでの阪神退団が決まっている鳥谷敬内野手(38)へ、先輩、後輩、恩師らからエールが寄せられた。新天地での現役続行を目指す鳥谷の“真の姿”を知る人たちが、激励の言葉を贈る。2003年セ・リーグVメンバー、藤本敦士1軍内野守備走塁コーチ(41)は、ポジションを争った後輩のブレない姿に思いをめぐらせた。

  ◇  ◇

 2003年の11月。秋季キャンプ中の倉敷で、俺は鳥谷敬の阪神入りを正式に聞かされた。アマNo.1遊撃手という最高評価。俺とポジションが同じか…どんな選手なんだろうって。後輩ではあっても、ライバルだった。何か声を掛ける…そんなことはなかったか。俺もそこまで大人じゃなかったしな(笑)

 初めてトリに会ったのは翌年1月、沖縄での合同自主トレ休日。誰もいないと思った体育館に、汗だくのあいつがいて…。すっと差し出された右手を握った。「ハイどうぞ、と渡すわけじゃない。1年間ショートを守ってきたプライドもある」。会う前から、俺は言い続けてきたんよ。だからこその休日返上。でもそれは、トリも一緒やったんやな。

 一番の思い出…難しい。でも、やっぱり入ってきたときのことを思い出すな。危機感しかなかったし、俺だって負けたくなかったから。でもキャンプを一緒に過ごして、驚いた。想像を超えるような体力だった。トリが最後まで練習するから、その練習時間さえも負けたくなくて。最後はお互いに意地の張り合いだったよな。手で転がしたボールを捕球する練習を2時間以上。それは俺ら2人の、2人だけの思い出やな。

 トリが入ってくる前のキャンプの個人練習メニューは、特打だけ、特守だけ…が当たり前だった。でも、トリは特打をやって、特守もやって、その後にまたバットを持っていた。また、特打やんの!?って。新人がそれだけ練習するんやから。俺らだって負けたくない。気付いたら、そこまでやるのが当たり前になっていた。ヘロヘロになるまでやって、帰るっていうスタイル…これはトリがチームを変えたんやろうな。

 阪神のユニホームを着て戦った16年間。トリの芯というのは、一度もぶれなかった。今、コーチになって余計に思うわ。若い選手に「トリのマネせい」って言っても、それはなかなか難しい。それくらいの選手やった。野球に対してストイックで、そこがまた尊敬できて…。今、願うとすれば、誰か若い選手に引き継がせたい。いい意味で最後まで曲げなかった、トリが貫き通した、その魂をな。

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