阪神・矢野監督「お礼しかない」野村政権下で正捕手…「考える野球」叩き込まれた

 矢野(右)を呼び寄せアドバイスする野村監督=99年6月13日、甲子園 
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 「練習試合、日本ハム0-5阪神」(11日、タピックスタジアム名護)

 阪神・矢野燿大監督(51)、藤川球児投手(39)ら阪神関係者が11日、野村克也氏の急逝を惜しんだ。矢野監督は野村氏が阪神の監督を務めた99年からの3年間で正捕手の座を築いており、一流選手へ導いてくれた指導への感謝を口にした。今後は恩師の「考える野球」に、明るく前向きに戦う自分の色をプラスして、優勝での恩返しを誓った。

 突然の別れが受け入れられない。矢野監督は何度も言葉を詰まらせ、野村氏と過ごした日々を振り返った。

 「急なことなので。びっくりで…。出会わせてもらったことに感謝やし、最後はお礼しかないよね」。最後に会ったのは昨年6月の甲子園だった。テレビ番組の収録だったが、野村氏は体調が優れない中「(監督が)矢野やから会いに行く」と周囲に伝えていたという。恩師の心遣いを思い出すと、また沈痛な表情を浮かべた。

 野村氏は99年に阪神の監督に就任。現役だった矢野監督は同年に113試合に出場し、初の規定打席到達で、初の打率3割も達成。飛躍へのきっかけをつかんだ。

 「『うまい者がレギュラーになれる』というものじゃないと。頭で考えてやっていけば、追いつけるというのを教えていただいた」

 野村氏からたたき込まれた「考える野球」が礎となり、20年間の現役生活と指導者へとつながった。

 同じ捕手として、幾多のぼやきも受けた。「褒められたことがほぼなかった」と振り返る。ただ、忘れられない言葉もある。99年4月。長崎県営球場で行われた横浜(現DeNA)戦の打撃練習中に声をかけられた。

 「お前もよく頑張ってるな。古田もその時はいい投手陣じゃなかったけど、だからこそ学べるんだ。だからお前も、しっかり今のうちに学んでおけ。頑張るんだぞ」。厳しさの中にも愛があった。感謝の気持ちが強いからこそ、監督就任決定後の18年10月に、野村氏の自宅へあいさつに向かった。

 18年1月に亡くなった星野仙一氏に続き、また一人、恩師が亡くなった。「(野村氏は)本当に野球が大好きな方だった。その野球に自分が恩返ししていくことが、野村さんの供養につながると思う」。天国の恩師に認めてもらえる優勝を固く心に誓った。

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