【虎戦士回顧録、あの時は…】城島健司氏 36歳電撃引退の真相 4億の契約残して決断
あなたは目の前の4億円を“捨てる”勇気を持てますか?そんな常人では考えられないケジメのつけ方を、1人の猛虎戦士がやってのけた。今年からソフトバンクに復帰した城島健司会長付特別アドバイザー(43)。2012年に契約を1年残し、阪神でユニホームを脱いだスーパーキャッチャーが今、当時の決断を振り返った。
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驚きの決断だった。2010年から年俸4億円の4年契約を結んでおり、13年も阪神のユニホームを着てプレーすることを信じて疑わなかった。引退会見の前日、城島氏から伝えられた引退の2文字。それは「野球選手として契約してくれた球団の方、ファンの方にできる精いっぱいのケジメ」だった。
移籍1年目は全試合でスタメンマスクをかぶった。わずか1勝差で優勝を逃したが、前年Bクラスからの2位躍進に大きく貢献した。自慢の強肩は“城島バズーカ”と称され、強烈な打棒と明るいキャラクターは虎の雰囲気を一変させた。
しかし、以降のジョーを待っていたのは度重なる故障。痛めていた右肘はトミー・ジョン手術を受ければ、再起できる可能性は残っていた。球団からも打診されたが、本人は「これだけ高い給料をもらいながら、1年間、グラウンドに立たないことはあり得ない」と固辞。プロ野球選手としての矜持(きょうじ)、信念、生きざまを示し、ユニホームを脱いだ。
「若いときは捕手が嫌いで嫌いで、早く他のポジションをやりたいなんて思っていたけど…。捕手として、捕手のまま引退したい」と語っていた城島氏。いくつかあった理由の中で、最も印象に残っているのは「野球が大好きなままユニホームを脱ぎたい」。このまま続ければきっと野球が嫌いになる。テレビで野球中継を見ながら子供たちに「昔はこうだったんだよ」とお酒を飲みながら自慢したい-。
そんな思いを語った涙の引退会見から8年、今年からジョーはソフトバンクの会長付特別アドバイザーに就任し、球界復帰を果たした。2月の宮崎キャンプでは、若手選手相手に打撃投手を務めるなど精力的に動き、メディアの注目も一身に集めた。再び野球界へ身を投じた今、あの決断をこう振り返る。
「間違っていなかったからこそ今、こうやって球界に戻って来られたんじゃないかなとは思う。もしあと1年、やっていれば野球が嫌いになっていたと思う。そうなれば今年、こういう話を受けることはなかったかもしれない。自分の過去がどうとか振り返るつもりはあまりないけど、今はそう思うよ」
プロ野球の選手寿命が延びていた12年当時、まだ36歳で“鮮やか過ぎる”と称された引退の決断。その決断があったからこそ、ジョーが持つ野球への情熱は消えなかった。