岡田監督は「野球をよく知る人間」 阪神の第8代オーナー宮崎恒彰氏が振り返る05年の優勝 

 2006年から2年間、阪神の第8代オーナーを務めた宮崎恒彰氏(77)が、デイリースポーツ紙面で激動の日々を振り返ります。02年に取締役としてタイガースに入団。黄金時代の構築に尽力し、村上ファンド問題、30億円問題など、猛虎の危機に立ち会ってきた。

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 歓喜の胴上げから2年、阪神の野球は間違いなく一時代を築いた。JFKという強力なリリーフ陣を形成し、後のトレンドとなる戦い方を確立。圧倒的な強さで2005年、9月29日にセ・リーグを制した。優勝へ導いた岡田彰布監督を、宮崎氏は「野球をよく知る人間」と言う。

 「監督室に何回か行ったことがあって、世間でも言われてるような感じで『何であんな采配したん?』と聞くわけですわ。私みたいな素人やったら、次の一手までくらいしか思い浮かばんのやけど…岡田は『これがこうなって、ああなって、こうなるはず。だから、こうしたんです』と4手先くらいまで具体的に説明するんよな。小さい頃から野球小僧で、野球エリートで。本当に野球をよく知っている」

 05年に優勝を果たして以降、08年シーズン終了後に辞任するまですべて優勝争いを演じてのAクラス。甲子園球場は常に満員で、タイガースが主催試合のチケットを発売すると、開幕カードや巨人戦の次に、9月のゲームから売れていったという逸話が残る。理由は優勝の胴上げシーンを現場で目に焼き付けるため。常勝軍団としてファンに認知されていたことが、このエピソードでよく分かる。

 ただチームの戦力に目を向ければ、時に先発投手の枚数が足りなくなることもあった。外国人補強についても2000年代後半は失敗の連続だった。それでも優勝争いを演じることができた要因は何か-。宮崎氏は「監督と選手が『勝つ』ということと『野球』というところで一体化していた」と振り返る。

 「ベテランの金本や藤川らと話す機会があったんやけど、選手は選手で野球を知っている。試合中、監督の采配には一目も二目も置いているんですよね。そこでの齟齬(そご)というのはなかった。話を聞いても、当時のマスコミさんが書かれていたような評判が悪いとかはなかった」

 勝つために監督と選手が一体となって動く。その信頼関係があったからこそ、宮崎氏は岡田監督に指揮官を託し続けた。06年のオーナー就任後、チームの成績が下降しようものなら宮崎氏の元にはマスコミが集まったという。「次の監督、どないでっか?」。そんな問いをき然とはね返し、時には自らの考えと違う報道をした社を取材禁止にするなど、強権を発動したこともあった。

 強い姿勢で現場をバックアップすることを貫いた宮崎氏。一方で黄金時代を迎えることで、ある種の危機管理も実行していた。勝つことで上昇していく選手の年俸。球場で観戦する際は、試合前にある場所へと足を運んでいた。向かった先はクラブハウス内にあった選手食堂だった。

 ◆宮崎 恒彰(みやざき・つねあき)1943年2月9日生まれ、77歳。兵庫県出身。神戸大学経営学部卒業後、65年に阪神電鉄入社。88年、関連企業の山陽自動車運送に出向後、96年本社取締役、00年常務、社長室副室長。04年代表取締役専務となり、06年6月から08年6月まで阪神タイガースのオーナーを務めた。

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