選手食堂で培った危機管理 阪神の第8代オーナー宮崎恒彰氏が振り返る“交渉術”
2006年から2年間、阪神の第8代オーナーを務めた宮崎恒彰氏(77)が、デイリースポーツ紙面で激動の日々を振り返ります。02年に取締役としてタイガースに入団。黄金時代の構築に尽力し、村上ファンド問題、30億円問題など、猛虎の危機に立ち会ってきた。
◇ ◇
2005年の優勝時、チームには球界を代表する選手がそろっていた。野手では中軸を張る金本知憲、勝負強さを発揮した今岡誠、不動のリードオフマン・赤星憲広、正捕手・矢野燿大ら。リリーフ陣にはJFKが君臨し、先発も井川慶、下柳剛、福原忍、安藤優也ら粒ぞろいだった。
宮崎氏が球場を訪れて観戦するのは月1、2回のペース。時には監督室へ足を運び、時には選手食堂に出向くこともあったという。球団のフロント職員、そしてオーナーが選手食堂で食事を取ることは近年でもまず、ない。そこには宮崎氏のある狙いがあった。
「何で選手食堂に行くかと言ったら、契約更改の年俸でモメた時に備えてや。何かあったら最後は自分が出ていかなアカンと思ってた。だから選手とコミュニケーションを取っておこうと」
出向くのは若手が食事を済ませた後の時間帯。若虎を萎縮させないように配慮した上で、金本、下柳のベテラン勢や藤川、ウィリアムスなどJFKトリオがいる頃合いを見計らった。
たわいもない会話からコミュニケーションを図り、無口なイメージが強かった下柳には「立派な体格やから」と体を触ってスキンシップを図った。ベテラン左腕が「すみません。僕に男の趣味はありません」と言うと、「結婚してへんのに、好きなんはワンちゃん(犬)だけかいな」とニヤリ。そんなやりとりを交わしながら、選手との距離を縮めた。
「あんまりベタベタして友達付き合いになるのはアカンから、適度な距離でね。大事やったと思いますよ。実際に主力選手の契約更改でモメそうという話が来た時、その場で電話して『そんなん言ってるんか』と聞くと、相手は『いえ、そんなことは…』って。それで予算内で済んだこともあった」
相手を知ることは交渉術の一つ。さらにフロントとして日頃から言葉を交わしていれば、選手も“この人が言うなら”と納得することができる。選手と信頼関係を築くことが、年俸高騰を抑える危機管理だった。
「あと、ファンを飽きさせない話題を提供できるか。新聞記者から試合がなく、ネタがないと言われてな。確かに月曜日も新聞が出るし、なるほどなと。ほな考えたろ思うて。途中から邪魔くさくなって金本に電話したんや。『ワシはあんたのことをこうおちょくるから、適当に答えといて。何言ってもかめへんから』って。向こうも分かりましたって言ってくれてな」
金本を“チョイ悪番長”と命名しつつ、「一選手の枠を超えた存在。あのリーダーシップは貴重」とフォローも忘れずに話題を振りまいた。時には甲子園のライトスタンドで熱烈な虎党に囲まれながら観戦し、ファンが何を求めているかを肌で感じた。すべては“マンネリ化”を防ぐためだった。
そして06年、黒子に徹してきたフロントマンがついに、表舞台へ立つ時が来る。タイガース、そして本社が揺れた村上ファンド問題。電鉄本社専務ながら自らを「セットアッパーオーナー」と称し、幾多の苦難を乗り越えていく日々が始まる。
◆宮崎 恒彰(みやざき・つねあき)1943年2月9日生まれ、77歳。兵庫県出身。神戸大学経営学部卒業後、65年に阪神電鉄入社。88年、関連企業の山陽自動車運送に出向後、96年本社取締役、00年常務、社長室副室長。04年代表取締役専務となり、06年6月から08年6月まで阪神タイガースのオーナーを務めた。