【虎戦士回顧録、あの時は…】安仁屋宗八氏「今があるのも阪神での5年間が大きい」

 懐かしの猛虎戦士が現役当時を振り返る企画「あの時は…」。今回は1974年オフに若生智男投手(現デイリースポーツ評論家)とのトレードで阪神に加入した安仁屋宗八氏(75)=現広島OB会長、デイリースポーツ評論家=の登場だ。移籍1年目は66試合に登板し、12勝5敗、7セーブ、防御率1・91。中継ぎで大車輪の活躍を見せ、最優秀防御率とカムバック賞を獲得した。盟友・田淵幸一氏との秘話、巨人への思い、阪神で過ごした5年間を振り返った。

  ◇  ◇

 トレードのきっかけは1974年開幕前、ジョー・ルーツ(当時広島打撃コーチ)からサイドスロー転向を勧められたことだ。ワシは「なぜ、キャンプの時に言わなかった?」と断った。そのオフ、ルーツが監督になって、若生さんとのトレード話が進んだ。

 ワシは阪神に行くなら辞める腹積もりじゃった。女房にも「カープから電話があっても、どこにおるか言うな!」と。でも、吉田さん(当時阪神監督)に請われ、広島でお世話になった方からも「1年遊んでこい」と勧められてね。入団した頃からかわいがってくれた古葉さんも女房に「阪神に行った方がいい」と言っていたみたい。「じゃあ1年だけ行ってきます」とトレードを受け入れたんじゃ。

 それまでオフは遊ぶもん、ジャージー、運動靴も履いたことがなかったけど、悔しかったから、カープを見返したかったから、ジムにも初めて通った。体重を7~8キロ落とした。

 「浩二(山本)、衣笠、大下には打たさん!」とカープ戦は必死に投げた。ある試合で浩二に敬遠のサインが出た。ワシは吉田さんに「敬遠するなら代えてくれ!」と直訴した。本塁打を打たれてしまったけど、後悔はない。今となってはいい思い出だよ。

 移籍1年目(1975年)にカープが初優勝した時も複雑というより喜んだよ。古葉さんが監督だったからね。三村がワシから(9月に)甲子園で本塁打を打ったんだけど、あれで(事実上)決まったんじゃないかな。

 阪神という注目度の高いチームで巨人戦は燃えたね。小さい頃から沖縄での野球中継といえば巨人戦。雑誌も巨人の選手が表紙を飾っていたからね。やっぱり長嶋さん、王さんから三振を取りたかった。当時のピッチャーはみんなそうだったんじゃないかな。吉田さんもワシを巨人戦で起用してくれた。カープの時から巨人に勝たせてもらっていたから、そういう狙いもあったんじゃないかと思う。

 最も思い出に残っている試合は神宮でのヤクルト戦。大杉にぶつけて、次の外国人選手にもぶつけたら広岡さん(当時ヤクルト監督)が怒って、ベンチから出てきた。大杉も詰め寄ってきたんだけど、田淵が大杉に飛びかかって止めてくれた。広岡さんは「安仁屋を退場にしろ!」と言ったけど、ワシは退場にならんかった。田淵が守ってくれた。

 田淵とは相性が良かった。肩が良かったから、走者を出しても安心して投げられたね。打つだけの捕手だと思っていたけど、いい捕手だった。試合が終わってからも一緒にマージャンをしたり、飲んだりね。オフは田淵の自宅に呼んでもらったこともあるし、本当によくしてもらったね。

 79年オフ、古葉さんから「戻ってこい」と言われて、カープに戻ったんだけど、阪神に行って良かったと思っている。今のワシがあるのも阪神での5年間が大きい。カープに帰ってからの現役2年間は何もできなかったけど、古巣のありがたみも分かった。今でもカープが優勝できなかったら、阪神にしてほしい。お世話になったところが優先。シーズンの順位予想でも常に広島優勝、阪神2位にしとるじゃろう。

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