元阪神オーナー手塚昌利氏が死去 89歳、05年岡田阪神V支えた
阪神は21日、電鉄本社元会長で第7代オーナーを務めた手塚昌利(てづか・まさとし)氏が、18日午前1時50分に心不全のため、神戸市内の病院で死去していたことを発表した。89歳だった。葬儀・告別式はすでに執り行われ、後日お別れの会を開催する予定(日時などは未定)。2004年にオーナーへ就任すると、フロントのトップとして岡田監督をバックアップし、05年にリーグ優勝を果たした。
2005年に阪神がリーグ制覇を果たした際のオーナーが静かに息を引き取った。
手塚氏は明大・一場への現金授与問題で引責辞任した久万オーナーの後を継ぎ、04年11月に阪神の第7代オーナーに就任。翌05年には岡田監督の下、リーグ制覇を達成したチームをバックアップした。
06年6月には村上ファンドの買収問題を経て、阪神電鉄と阪急ホールディングスの経営統合が決まった後、オーナー職を辞任。その後は08年7月まで電鉄本社の相談役を務めた。
手塚氏は電鉄社長時代に阪神・淡路大震災後の復旧作業や、西梅田開発、西大阪延伸線(現在の阪神なんば線)の二大事業などで陣頭指揮を執ったことでも知られる。
藤原オーナーは「突然の悲報に接し、痛惜の念に堪えません。手塚元オーナーの飽くなき勝利への意思を引き継ぎ、必ずや阪神タイガース優勝・日本一を成し遂げられるよう、チーム・フロント一丸となって戦ってまいります」とコメント。
05年優勝時に正捕手を務めた矢野監督は「やはり優勝のビールかけが一番の思い出として心に残っています」と話し、「天国の手塚さんにいい報告ができるように、目の前のことに全力を尽くしていきます」と故人に15年ぶりのVを誓った。
◆手塚 昌利(てづか・まさとし)1931年3月8日、徳島県出身。旧制市岡中学(現大阪府立市岡高校)から京大法学部を経て、53年阪神電気鉄道株式会社に入社。主に関連事業畑を歩き、西梅田地区再開発計画に尽力。81年取締役、86年常務、89年専務、92年代表取締役社長、2004年会長。98年からの阪神球団オーナー代行を経て、04年から06年まで球団オーナーを務めた。