【名勝負列伝 4】小林繁 因縁古巣と初対決で魂のG倒 「江川事件」で屈辱トレード
阪神タイガースの球団史を彩る名勝負を、当時のデイリースポーツと共に振り返る随時掲載企画。今回は1979年4月10日の巨人戦(甲子園)、「江川事件」を経て阪神に移籍後、初めて因縁の古巣との試合に登板した「小林繁、魂の巨人戦初登板」を取り上げる。
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翌日のデイリースポーツ1面には「小林“炎”の初勝利」の大きな文字が躍る。サブ見出しには「燃えに燃えた139球」-。小林が気迫でもぎ取った巨人戦初勝利だった。
国会でも取り上げられるほどの大騒動となった「江川事件」の“落としどころ”として阪神へトレード。屈辱の移籍となった巨人のエースは会見で「同情されたくはない。江川君の犠牲で行くのではありません」と努めて冷静に話した。
だが、その胸の内は反骨心で燃えたぎっていた。キャンプに合流すると、巨人とのシーズン初戦での登板を目指し、黙々と仕上げを進めていく。そして迎えた「4・10」で鬼気迫る投球を見せた。
決して内容が良かったわけではない。翌日紙面の戦評には「小林は力任せのピッチング。四回ごろから早くも疲れが見えた」とある。巨人に毎回安打となる12安打を許しながらも7回1/3を投げて3失点。「ピッチング的には内容がなかったと思う。でもきょうの場合、そんなことはどうでもよかった」と本人はコメントしている。
「みんながボクを勝たせてくれた。ほんとならとっくに崩れていたでしょう」。小林が声を詰まらせながら振り返ったように、阪神内野陣は何度もマウンド上の変則右腕を励まし、攻撃でも若菜、中村勝のソロ、ラインバックの2ランと3本の本塁打で援護。「勝ってよかった。とにかくきょうは勝ちたかった」と悲運のエースは勝利を喜んだ。戦評は「巨人は気迫で負けていた」と結んでいる。
ドン・ブレイザー監督に直訴して巨人戦中心のローテで投げた小林はその年、因縁の古巣相手に無傷の8勝。22勝を挙げて2度目の沢村賞を受賞した。一方、阪神相手に9勝17敗と大きく負け越した長嶋巨人は前年2位から5位に沈んだ(阪神は4位)。まさに小林の意地がそうさせたシーズンだった。
◆小林 繁(こばやし・しげる)1952年11月14日生まれ。鳥取県出身。現役時代は右投げ右打ちの投手。由良育英から全大丸を経て、71年度ドラフト6位で巨人から指名を受ける(入団は72年オフ)。79年2月に江川卓との交換トレードの形で阪神移籍。最多勝1回、ベストナイン・沢村賞各2回。通算成績は374試合139勝95敗17セーブ、防御率3・18。83年の現役引退後は近鉄1軍投手コーチ、韓国・SK投手コーチ、日本ハム2軍・1軍投手コーチを務めた。2010年1月17日、57歳で死去。