【昭和の虎模様】川藤幸三氏がカネ要らん?そんなアホな。あいつは役者やで

 今年、球団創設85周年を迎えた阪神タイガース。長い歴史の中では多くの名選手、名勝負が生まれ、数々の“事件”もあった。昭和の時代にデイリースポーツでトラ番を務めた平井隆司元編集局長が、栄光と挫折の歴史を秘話をちりばめ連載で振り返る。

  ◇  ◇

 プロ野球がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の助言があってセ・パ2リーグ制になったのは1950年。そのシーズンにいきなりタイガースの藤村富美男が191本ものヒットを打った。無残な敗戦からまだ日が浅い。セ・リーグの阪神からパ・リーグの球団へ移籍した主力が多くいた中、誘惑に負けず、藤村は残留したから一層、男をあげた。

 1シーズンで安打191本を打つバッターはもう出まい。だれもがそう思う。実際、記録が塗り替えられるまで44年もの時が流れる。オリックスの鈴木一朗改めイチローが94年に210本の安打を記録した。この時、藤村富美男はこの世にいない。92年の5月に他界している。

 亡くなっていなければ、イチローの192本目にオリックスが気を利かせて藤村を招待席に招き、スタンドから藤村が、グラウンドからイチローが握手をすれば、どれほどファンが喝采したろうか。

 イチローが日本新を記録した210本で川藤幸三が楽しい話をする。今はタイガースOB会長の川藤節が面白いから、よく講演を頼まれる。

 彼には挨拶代わりの枕詞がある。

 「イチローは210本のヒットを打ちよりました。皆さんは“すばらしい”と絶賛されたでしょ?あのですね、私はね、実はですね211本のヒットを打っているんです。イチローより1本多いんですよ」

 会場がえっと驚く。川藤は5秒ほどの間(ま)を置く。そしてまた話を始める。

 「私は211本を打つのに18年も費やしました。イチローは、はい、1シーズンで210本です」

 会場がどっと沸く。

 川藤の鼻は敏感だ。現役の晩年、契約更改交渉の数日前に「戦力外通告」の匂いがした。交渉の日が来る。川藤は思い切り頭を下げた。

 「(クビだけは)堪忍してください。カネなんかいりません。ワシはただ野球がしたいんです。残してください。カネはほんまにいりません」

 川藤は戦力外にならずに残った。

 記者の一人が「カワは春団治や」と記事にした。

 カネなんかいらん、酒もいらん、おなごもいらん、わしには落語があったらええんやーと言ったのは、あの浪速の春団治である。

 後年、当時の球団社長が白状する。「川藤がカネ要らん?そんなアホな。あいつは役者やで」-。=敬称略=

 ◆川藤 幸三(かわとう・こうぞう)1949年7月5日生まれ、70歳。福井県出身。現役時代は右投げ右打ちの外野手。若狭から67年度ドラフト9位で阪神入団。通算成績は771試合211安打16本塁打108打点、打率・236。86年現役引退後は阪神でコーチを務めた。現阪神OB会長。

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