【昭和の虎模様】掛布雅之氏 給料7万円、体も大きくない“テスト生”のスターへの序章

 今年、球団創設85周年を迎えた阪神タイガース。長い歴史の中では多くの名選手、名勝負が生まれ、数々の“事件”もあった。昭和の時代にデイリースポーツでトラ番を務めた平井隆司元編集局長が、栄光と挫折の歴史を秘話をちりばめ連載で振り返る。

  ◇  ◇

 掛布雅之はタイガースに入った1年目(1974年)、独身寮の虎風荘の中庭で素振りをし、風呂で汗を流すと千葉の実家に手紙を書いた。4日に一度、いや3日に一度。宛名は父親の泰治さん。練習の報告を3行ほど書き、その後は生活のことを綴った。

 給料は7万円で契約金は洋服2着と靴2足を買えば、それで消えた。(74年の大卒初任給=約7万円)

 新聞にはドラフト6位と発表されたがそれは建前。実質はテスト生だから、同期の選手や先輩が年俸や給料の話をすると、耳をふさいだ。

 「父さん、寮費やスポーツ用品の支払いをすませたら3万円くらいしか残りません」

 「母さん、電話をかければいいんだけれど、電話代を払うと、もう、他に何も買えません」

 だから掛布は手紙を書いた。父と母は息子の手紙を見ると、涙がこぼれて仕方がなかった。

 梅田へ出ると耳に入る大阪弁がチンプンカンプン。外国語に聞こえた。うどんを食べても、おでんを口に入れても薄い味。友達は同期の中谷賢平というドラフト外の投手一人だけ。そんな日常が続いた。期待されていないテスト生、とよく落ち込んだ。

 当時の監督・金田正泰が後年、掛布の第一印象を語っている。

 「体も目立って大きくないから、正直なところ2、3年ファームで体を鍛えて、いずれ守備要員でもなればと、そういう感じの選手でしたな」

 ある日、掛布は思わぬチャンスをもらう。主力内野手の2選手が冠婚葬祭で欠けたオープン戦で、急に1軍に呼ばれると打ちまくった。守備もいい。「阪神にすい星!現る」と新聞が騒いだ。

 掛布はホームランを打つと時間をかけて一塁、二塁、三塁を回った。「僕のために時計が止まっている。あの気分わかります?」とよく言っていた。

 街は掛布雅之の話題で日が明け、暮れる。写真週刊誌にも追われるスターになった。

 石川県能美郡根上町(現能美市)に、テレビに映る掛布雅之にくぎ付けになる野球少年がいた。親が「おまえ、そんなに掛布が好きなのか」と驚くほどだったらしい。

 星稜高に進んだ少年は1992年の秋、ドラフト会議で中日、ダイエー、阪神、巨人の4球団から1位指名を受けた。阪神監督の中村勝広は空くじを引き、巨人監督の長嶋茂雄が残り福で「阪神志望」の松井秀喜を浚(さら)った。=敬称略=

 ◆掛布 雅之(かけふ・まさゆき)1955年5月9日生まれ、65歳。千葉県出身。現役時代は右投げ左打ちの内野手。習志野から73年度ドラフト6位で阪神入団。本塁打王3回、打点王1回、ベストナイン7回、ゴールデングラブ賞6回。通算成績は1625試合1656安打349本塁打1019打点、打率・292。88年現役引退。2016~17年に阪神2軍監督を務めた。

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