藤田平氏 “新庄正座事件”チーム全体にまん延する遅刻癖 選手間ルール決めた

 阪神の暗黒時代、球団や選手に対する厳格な姿勢から「鬼平」と呼ばれた将がいた-。虎生え抜き選手初の名球会打者でもある元監督の藤田平氏(72)=デイリースポーツ評論家=が、1995年に就任した2軍監督時代から1軍監督を途中退任した翌96年までを述懐する。「最悪」と衝撃を受けた現場復帰当初のチーム状態から、新庄正座事件、桧山の4番抜てき、そして深夜にまで及んだ“籠城会談”など激動の虎を振り返る。(文中は敬称略、役職は当時)

  ◇  ◇

 常習化していた選手の遅刻問題の象徴として、今も“新庄正座事件”がメディアで取り上げられる。実はこの一件、藤田から一方的に命じたわけではなかった。練習に遅刻した新庄剛志が“罰”として鳴尾浜のグラウンドで正座したのは1995年7月の暑い盛り。練習に1時間遅れ、同じ時間だけ炎天下の中で膝を折った。

 「(新庄には)遅れた分だけ座りなさいと。30分遅れたら30分。20分遅れたら20分、と選手間で決めてもらったものがあったから。自分たちで(ルールを)決めなさいと言って、それで決まったものだったからね」

 両者それぞれ言い分はあるだろう。それでも藤田からすれば、あくまで選手主体で設けさせた“ルール”にのっとった処遇だったという。その後、新庄はアメリカン・ノックなどのメニューを消化している。

 チーム全体にまん延する遅刻癖に頭を悩ませる日々。「練習は遅れて来る。だけど、飛行機や電車には遅れない。乗り遅れるから。飛行機や電車にも遅れるなら分かるけど」。新庄以外では、こんな話がある。藤田は2軍のチーム関係者に“遅刻常習者”だった某選手の夫人へ毎日電話させている。

 「(ある日、某選手が)練習に来ないから奥さんに電話したら『えっ、今日は11時からじゃないんですか?』って。そもそもの開始時間を間違っている。開始は10時。それから毎日(チーム関係者に)『明日の練習開始時間は10時からです』と電話させた」。野球以前の話だった。

 新庄が正座した日は7月23日。藤田にとって2軍監督として最後の日でもあった。その夜、1軍は前半戦最終戦だった広島とのナイター(甲子園)で8連敗を喫す。それから休養することになった中村勝広監督の後を受け「1軍監督代行就任会見」に臨んだのが翌24日。藤田が1軍で指揮するにあたり、決意を示した会見前日の出来事だった。

 能力は目を見張るものがあった。初めてグラウンドで新庄のプレーを見た印象を藤田は「レベルが違った」と振り返る。一方で現役復帰を目指そうとする今もそうだが、当時から話題に事欠かない選手でもあった。

 その厳格さから『鬼平』と呼ばれた指導者と、天性が光る当時23歳の人気選手。この年のオフには「センスがない」と新庄が引退宣言し、直後に撤回する騒ぎもあった。スター性は誰もが認めるところ。同時に藤田は「甘やかされていたところがある」と危惧していた。

 正座の件があってから6日後。1軍監督代行としての初戦で見せた選手起用に、甲子園が沸いた。舞台は同年7月29日の横浜戦。後に2003、05年のリーグ優勝にも大きく貢献する若虎を4番に抜てきした。=敬称略=

 ◆藤田 平(ふじた・たいら)1947年10月19日生まれ、72歳。和歌山県出身。現役時代は右投げ左打ちの内野手。市立和歌山商(現市立和歌山)から65年度ドラフト2位で阪神入団。通算2064安打は阪神歴代2位。首位打者・最多安打各1回、ベストナイン7回、ゴールデングラブ賞3回。通算成績は2010試合207本塁打802打点、打率・286。

 84年現役引退後、95年に阪神2軍監督から1軍監督代行。96年に監督就任したが、シーズン途中で退任。監督通算成績は170試合65勝105敗、勝率・382。現デイリースポーツ評論家。

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