阪神外国人列伝 外国人枠に阻まれた台湾の銀腕 1993年、郭李建夫

好リリーフ郭李建夫、10勝目の湯舟(右)と握手=1993年7月13日
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 阪神は2020年、球団史上最多となる外国人選手8人体制でV奪回に挑む。球団創設85周年のメモリアルイヤー。かつてタテジマのユニホームに袖を通した助っ人を年度別で振り返る。

 1993年は台湾出身の“銀腕”郭李建夫が入団した。92年バルセロナ五輪に台湾代表のエースとして出場し銀メダル獲得に貢献。93年に年俸1200万円で阪神と契約した。祖父は元日本軍の通訳で「小さい頃から日本で野球をやるのが夢だった。その夢が実現したのはやっぱり縁があるってことなのかな」と喜びをかみしめた。

 ジャパニーズドリームを夢見る若者に立ちはだかったのが外国人枠だ。当時1試合に出場できる外国人は2人までという規定があり、オマリー、パチョレックと併用となった。

 来日1年目はパチョレックの腰痛によって5月21日に1軍昇格。同日の中日戦に初登板し、1イニングを無失点に抑えた。「緊張…したよ。でも、それも登板前だけ。マウンドに上がったら落ち着いてコントロールにだけ気をつけられたね」と初々しく振り返った。デイリースポーツは「首位虎に合体!魅せた剛腕」と報じた。

 7月9日・巨人戦では同点の九回に登板し、1回を無失点。関川のサヨナラ押し出し四球で初勝利が転がり込んだ。「環境にも慣れてきたし余裕がでてきた」。本紙は「虎の救世主」と報じている。

 93年は27試合に登板して5勝4敗2セーブ、防御率3・69の成績を残した。94年は49試合、7勝5敗2セーブ、防御率3・14と奮闘すると、95年は先発で3完投2完封を記録するなど5勝10敗、防御率3・37と安定感を示した。96年は主に中継ぎで45試合に登板し、8勝9敗15セーブ、防御率3・62。郭李は98年まで6年間阪神に在籍した。チームは1年目の93年が4位。その後も長く低迷期が続いたが、先発、中継ぎ、抑えと役割を変えながら黙々と腕を振った。

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