阪神外国人選手列伝 87年キーオ加入 暗黒時代の投手陣を支える
阪神は2020年、球団史上最多となる外国人選手8人体制でV奪回に挑む。球団創設85周年のメモリアルイヤー。かつてタテジマのユニホームに袖を通した助っ人を年度別で振り返る。1987年はキーオが加入し、1990年まで4年間、阪神でプレーした。
長身にトレードマークの口ひげ、帽子からはみ出したちりちりのブロンドヘアが印象的だった。大リーグではアスレチックスやヤンキースでプレーし、通算58勝を記録。実力派助っ人は大きく曲がるナックルカーブと直球を武器に、暗黒時代の投手陣を支えた。
新外国人投手として史上初の開幕投手を務め、4月10日ヤクルト戦(甲子園)に先発。七回途中5失点で敗戦投手となり、「すべて自分の責任だ。オレを開幕投手に選んでくれた監督とコーチに悪いことをした。ナインにも」とざんげしたが、闘争心あふれる姿でナインの心をつかんだ。レオンの強烈な打球に逃げずグラブでたたき落とすと、倒れ込みながら一塁送球。執念でアウトをもぎ取った。チームは痛恨の開幕7連敗となったが、デイリースポーツは「キーオ 負けても投魂」とたたえている。
キーオは同15日・大洋戦(横浜)で来日初勝利を完投で飾った。愛妻と息子がスタンドで見守る中、「これからももっと勝ちたい」と力強く宣言。この年27試合に登板し、11勝14敗、防御率3・80と奮闘した。88年は12勝、89年は15勝、90年は7勝を挙げた。打撃もよく、通算2本塁打を放っている。
在籍4年間のチーム成績は6位、6位、5位、6位と低迷。85年のリーグ優勝、日本一から暗黒時代に突入した中で、日本通算45勝44敗、防御率3・73の成績は立派だった。最終年も「オレはタイガースが好きだ。タイガースのために投げた」と残留を願ったが、希望は叶わなかった。
父のマーティは68年に一塁手として南海に在籍。当時小学生のキーオも父と来日しており、親日家としても知られた。