阪神外国人選手列伝 1983年“伝説の助っ人”バースがやって来た

 阪神・バース
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 阪神は2020年、球団史上最多となる外国人選手8人体制でV奪回に挑む。球団創設85周年のメモリアルイヤー。かつてタテジマのユニホームに袖を通した助っ人を年度別で振り返る。1983年はオルセン、ストローター、そして“伝説の助っ人”バースが阪神にやって来た。

 バースはキャンプ地のハワイ・マウイ島に降り立つと「1年目だが30本ぐらいは打ちたいし、打てるだろう」と豪語。走力について聞かれると「確かに速くない。でも本塁打を打ったら走らなくていいだろう」と笑い飛ばして力こぶを作った。

 バースは来日1年目から打率・288、35本塁打、83打点と実力を発揮。2年目の84年も27本塁打を放つと、3年目の85年に「神」となった。126試合に出場して打率・350、54本塁打、134打点で三冠王を獲得。リーグ優勝と球団初の日本一に貢献し、ダブルMVPに輝いた。

 4月17日・巨人戦での掛布、岡田との甲子園バックスクリーン3連発は語り草。これがシーズン1号だった。54号を放った後の残り2試合は巨人戦だったが6四球。86年はシーズン最高記録の打率.389、47本塁打、109打点で2年連続三冠王獲得。王が持つ7試合連続本塁打にも並んだ。達成できなかったのは、シーズン55本塁打超えだけともいえる伝説の助っ人だ。

 ストローターは春季キャンプでライナー性の打球を連発。「全力を尽くす。モットーは集中力だ」静かに闘志を燃やしたが、シーズンでは不本意だった。28試合で打率・276、5本塁打、12打点。83年は8月に借金2桁となる苦しいシーズンで、チームは投手陣を補強するためオルセンを獲得。ストローターは解雇となった。「1軍で使ってもらえないのならこの形(解雇)の方をとってもらった方が良かった」と受け入れ、無念の色を浮かべる様子もなかった。

 そのオルセンは7月に来日。「阪神浮上のために貢献したい」と意気込んだ。初登板初先発は8月11日・広島戦。3回3失点の結果に評価は二分したが、デイリースポーツは「投壊阪神救うのはオルセンしかおりゃせん」と期待の見出しを躍らせた。中2日で先発した14日ヤクルト戦は6回3失点。バース、北村、掛布、藤田、永尾、真弓の一発攻勢で大量援護を受け、初勝利を挙げた。「本当に打線には感謝している。最高の気分だ。米国ではついに大リーグに上がれなかったけど、日本の大リーグで1勝を挙げられた。夢を果たせた」と感慨に浸った。同年は4勝2敗、防御率3・51、翌年も29試合に登板した。

 同年は安藤監督2年目。62勝63敗5分けの4位で終えた。

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