【ありがとう球児】鮮明に残るプロ初星 元阪神投手コーチ・佐藤義則氏が振り返る
今季限りでの現役引退を発表した阪神・藤川球児投手(40)が、10日・巨人戦(甲子園)で最後のマウンドに上がる。引退試合へ向け、藤川にゆかりのある人々が語る球児伝説を紹介する。第4回はデイリースポーツ評論家・佐藤義則氏。
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2002年から3年間、阪神の投手コーチを務めた佐藤義則氏(66)=デイリースポーツ評論家=にとって、藤川にまつわる最も鮮明な記憶は、初勝利の時だという。
故星野仙一監督が就任即、優勝争いを繰り広げた02年。しかし、夏場には先発投手不足に陥った。「試合が休みの時に、2軍でいけそうなピッチャーを2人、1軍に呼んでね」。藤田太陽と藤川だった。
「岡田2軍監督(当時)が『故障が多いけど球も速いし、ストライクが入るから』と説明してくれたのが、藤川だった」と佐藤氏。試しにブルペンで投げさせて「先発させよう」と星野、佐藤両氏は一致した。
そして、9月11日のヤクルト戦(神宮)でプロ初勝利。「俺の誕生日だったから、うれしかったねえ」と佐藤氏は振り返る。試合後、お祝いの食事会にも連れて行った。後日、藤川から「お誕生日おめでとうございます、を言い忘れました!」と謝罪?があったのも、いい思い出だ。
当時、内角への球が弱く「向かって行く、という気持ちがちょっと弱い」と感じていた。ただ、藤川の故障の多さは、食の細さと関連があると考え、改善を勧めたというが、具体的なアドバイスは「そのくらいかなあ」と言う。
「あれから『なんで?』と思うくらい球速も上がって、すごいピッチャーになったよねえ」。名伯楽とうたわれる佐藤氏ですら、藤川のその後の急成長は想像を超えるものだった。