【阪神新人紹介】ドラフト1位・佐藤輝明【1】
10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた9選手の連載を本日からお届けする。初回はドラフト1位・佐藤輝明内野手(21)=近大。プロへの扉を開くまでの道のりを振り返る。
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不思議な巡り合わせが運命を変えた。小学1年から少年野球を始めて今年で16年。数々の出会いが待っていたが、阪神ドラフト1位・佐藤輝明誕生には、ある親子の存在を抜きにしては語れない。
始まりは仁川学院の入学式。「甲東の佐藤君やんな?野球部に入ろうや」。朝礼後に声をかけたのが、後に野球部で親友となる高取真祥さんだった。当時、野球部とサッカー部で迷っていた佐藤に高取さんが猛アタック。仮入部の最終日間際で、入部を決意した。
「テル(佐藤)と一緒にできたことが奇跡です」と高取さん。小学生の時、別チームの甲東ブルーサンダースでプレーする佐藤の強肩、打撃に魅了され、憧れの存在となった。高取さんの父・君己さんは息子の試合ではないのに、小、中学生時の佐藤の試合に駆けつけたほどで「テル(佐藤)は別格でした」とほおを緩ませる。高校での再会は、親子にとっても待望の瞬間だった。
そんな事情を佐藤は全く知らなかった。ただこの出会いが、プロへの扉を開く道しるべとなる。高校2年の10月。センスは抜群だったが、線が細かった。ある日、日頃からジムでトレーニングをしていた高取親子から「一緒にジムに行こう」と誘われた。これが分岐点となる。
当初はベンチプレスで50キロが上がるかどうかだったが、高校卒業時には110キロを上げられるようになった。単に重量を上げただけではない。月、水、金とジムに通い、胸の日、足の日、背中の日と、筋トレで鍛える部位を分けた。
効率よく筋トレを重ね、食事量なども研究した佐藤の才能は徐々に開花。ジム通いをする前は通算3本塁打程度だったが、ここから17本のアーチを描く。「6試合連発もありました」と高取さんは笑う。筋トレを始める前、筋肉量を増やすことと並行して、君己さんは佐藤に進言していた。
「プロ目指せよ」
佐藤の目標が甲子園ではなく、プロ入りへとルートが定まった瞬間だった。高校通算20発。仁川学院のグラウンドでは、折れた木製バットでも柵越えを放ち、ロングティー禁止令が出されるほどの怪力を身に付けた。
君己さんは西宮市でうどん屋「はづき」を構える。店内には、近大・佐藤が関西学生野球リーグで13号本塁打を放ったボールやバットが飾られている。
「ここは将来、輝明ミュージアムになるんやと思っています」-。
高校時代、野球部に誘われなかったら、筋トレをしなかったら…。今の佐藤は存在していないだろう。親友は「世界を代表する選手になってほしい」と夢を抱く。佐藤は期待を背にプロの世界に挑む。活躍が高取親子への最高の恩返しとなる。
☆アラカルト
生まれ 1999年3月13日、兵庫県西宮市生まれの21歳
サイズ 187センチ、94キロ
血液型 B型
投打 右投げ左打ち
家族構成 父・博信さん(53)、母・晶子さん(48)、次男・太紀さん(20)、三男・悠くん(10)
球歴 小学1年から軟式の甲東ブルーサンダースで野球を始める。小学6年でタイガースジュニアに選出。甲陵中では軟式野球部、仁川学院では硬式野球部に所属も甲子園出場経験はなし。近大進学後は1年春からリーグ戦に出場し、18年春に外野手としてベストナイン。同年に大学日本代表に選出。19年春には三塁手でベストナイン。20年秋には最優秀選手に輝いた。
憧れの選手 イチロー
好きなアーティスト ももいろクローバーZ(推しはメンバーカラー紫の高城れに)
偉業 関西学生野球リーグでOBの二岡智宏(現巨人3軍監督)が打ち立てた本塁打記録を更新する14号を放った。