【阪神新人紹介】ドラフト2位・伊藤将司【2】
10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた9選手の連載をお届けする。第2回はドラフト2位・伊藤将司投手(24)=JR東日本。プロへの扉を開くまでの道のりを振り返る。
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横芝中で軟式野球部に所属した将司は地元の選抜チーム『オール山武』に選ばれ、県大会で優勝。千葉県選抜にも選出される。ある日、県選抜の試合を横浜高の小倉清一郎元部長が視察に来た。
将司の才能に目をつけて小倉氏を呼んだのは、千葉県の中学軟式野球の要職に就き、今はU15軟式侍ジャパン編成委員長を務める近藤義男氏。横浜高出身で現日ハム・近藤健介の父である。
「すぐに小倉さんに『獲りますよ』と言っていただき、横浜高校から話が来たんです。見に来られるっていうのは聞いていましたが、近藤さんの紹介だったというのは後で知ったんです」と将司の父・正宏さんは明かす。
横浜高では1年秋からベンチ入りし、2年春には背番号1を背負った。同年夏の神奈川大会準々決勝では、全国区の注目を集める桐光学園・松井裕樹(当時3年、現・楽天)に投げ勝ち甲子園へ。初戦の丸亀戦で毎回の14奪三振をマークし、1失点完投と圧巻の聖地デビューを果たした。
それでも「あの時の甲子園では肩の痛みを押して投げていた」と本人は明かす。そのせいか現西武・高橋光成を擁する前橋育英の前に敗退。3年春に出場したセンバツでも初戦で敗れた。最後の夏は4回戦の湘南戦で10者連続三振を記録するも県大会ベスト4で敗退し、将司の高校野球生活は幕を閉じた。
新フォームで飛躍
進学した国際武道大で名将と出会い、さらなるレベルアップを果たす。「横浜の渡辺監督、小倉さんと並ぶ一番の恩師」という岩井監督だ。入学当初、高校時代に肩、肘を使いすぎていたと判断した同監督は1年間はイニングを限定して中継ぎで起用。2年から満を持して先発を任せ、春は3完封を含む負けなしの6勝を挙げた。
投球時のテークバックが大きすぎると感じた岩井監督が「後ろを小さく、前を大きく」と矯正。より打者からボールの出どころが見にくいフォームへと生まれ変わった将司は、3年春の千葉県大学リーグでMVP、最多勝など4冠に輝く。大学選手権準優勝にも貢献し、前年に続き侍ジャパン大学代表に招集されるまでになった。
順風満帆の大学生活。だがプロ入りへ向けて集大成となる4年でつまずいてしまう。「やっぱり焦りました。大学では春が一番目立つところなので…。そこでアピールできなかったのは悔しかったですね」。左肘痛により、登板機会が激減してしまったのだった。
◆伊藤 将司(いとう・まさし)1996年5月8日生まれ、24歳。千葉県横芝光町出身。178センチ、85キロ。左投げ左打ち。投手。小1から野球を始める。横浜高では1年秋からベンチ入りし、2年夏、3年春に甲子園出場。2年夏の甲子園・丸亀戦では毎回の14奪三振で完投。国際武道大3年春には千葉県大学リーグでMVP、奪三振王、最多勝などタイトルを総なめ。2、3年時に侍ジャパン大学代表に招集された。JR東日本では1年目からエースとして活躍。