【阪神新人紹介】ドラフト6位・中野拓夢【2】
10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた9選手の連載をお届けする。第6回はドラフト6位・中野拓夢(24)=三菱自動車岡崎。プロへの扉を開くまでの道のりを振り返る。
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三菱自動車岡崎・野波監督との出会いは18年の秋。「一目ぼれでした。ラブコールですよね」と監督は笑う。東北福祉大では4年時に、全日本大学野球選手権決勝で国際武道大を破り、日本一をつかんだ。ただ、中野の進路先は決まっていなかった。そんな時に野波監督は練習を見学。同大学の大塚監督に、ある申し出をした。
「監督、この子が一番欲しいです」
大学からプロを目指していた中野だが、大塚監督は「大学の頃から『プロに行きたい』と言っていたんですが、もう一つ上を目指すというかね…。野球のセンスも抜群な子だったんで、そんな時に野波監督から『すぐ欲しい』となりまして」と振り返る。中野は愛知の社会人チームへ進むことになった。
社会人野球に飛び込んだばかりの頃、野波監督から強烈な言葉を投げかけられた。「社会人の良い選手は関東や関西(のチーム)に選ばれていく。下からのスタート。全国で目立たないとプロに行けないぞ」。中野の闘争心にも火がつく。両親にも堂々の宣言だ。
「プロに行くために、岡崎に来たから」
2年間、遊撃手に固定された中野。阪神から6位指名を受けることになる20年は公式戦無失策を貫くなど、堅守で存在感を示した。ただ、最初から守備力が群を抜いていたわけではない。
1年目はミスをすることも多かった。ただ、そのミスを次にどう取り返すかが大事。「負けず嫌い」を自負する中野は即座に行動に移した。捕球練習からボールの握り替えなどを反復して行い、基礎的な守備練習を徹底。必死な姿勢が功を奏し、メキメキと頭角を現した。
19年はJABA選抜でアジアウインターリーグベースボール(AWB)に帯同し、4割近い打率を残した。世界を舞台にその名を轟(とどろ)かせ、守備だけではなく打てる遊撃手を印象付けた。
座右の銘は「夢かなうまで挑戦」。日大山形で1学年上だった現ヤクルト・奥村がモットーとしている言葉で「奥村選手が先にプロに行ったので、追いかけるという意味でも同じ言葉を胸にしてやっていました」と笑顔で明かした。
プロに行くために、岡崎に来た-。その思いを自らの手でかなえた。「鳥谷選手のように走攻守三拍子そろった選手になりたい」。幼い頃、阪神の背番号1に憧れた中野のプロ野球人生が、幕を開ける。
◆中野 拓夢(なかの・たくむ)1996年6月28日生まれ、24歳。山形県出身。171センチ、69キロ。右投げ左打ち。内野手。日大山形では2年夏に甲子園に出場。東北福祉大入学後は、1年春からベンチ入りし、ベストナインを3度受賞。三菱自動車岡崎に入社後は、1年目から遊撃のレギュラーとして都市対抗出場に貢献。20年度ドラフト6位で阪神から指名を受ける。