巨人・長嶋よりうまかった阪神OB三宅秀史さん死去 重鎮も認めた牛若丸との三遊間
阪神は5日、球団OBの三宅秀史さんが3日に心不全のため、三重県内の病院で死去したことを発表した。86歳。岡山県出身。通夜、告別式は近親者のみで執り行われた。
1953年に三塁手として入団した三宅さんは牛若丸・吉田義男と黄金の三遊間を組んだ。阪神のライバルである巨人は当時、ミスターこと長嶋茂雄が三塁を守り、遊撃の広岡達朗と三遊間を組んでいた。
昨年5月、デイリースポーツの連載「昭和の虎模様」を執筆した平井隆司元編集局長は以下のように記している。
当時の巨人・水原茂監督の言葉として、「うちの長嶋茂雄と三宅秀史とどっちがうまい?そんなの三宅に決まっているじゃないか」と即答し、川上哲治も「うちの長嶋と広岡の三遊間と阪神の2人と比べたらそりゃ、阪神のコンビだよ」と平然と言った。
今は亡き球界の重鎮も三宅さんの守備を認めていた。吉田との三遊間に加え二塁の鎌田実とのトリオで「100万ドルの内野陣」と呼ばれる鉄壁の守備陣を形成した。今は亡き鎌田は生前、「試合前のシートノックでファンを沸かせていたんだ」と胸を張った。
三宅さんは62年のシーズン中に試合前のキャッチボール中にボールを左目に受け記録は途絶えたが、04年に金本知憲に破られるまで、700試合連続フルイニング出場のNPB記録を保持していた。