小山正明氏 聖地初ナイターに7万!燃えた二刀流G倒 「伝統の一戦」通算2000試合
偉大なるOBたちが華麗なプレー、豪快な一打で歴史を積み上げてきた伝統の一戦が、5月15日の対戦で通算2000試合目の節目を迎える。デイリースポーツ評論家の元阪神・小山正明氏(86)が思い出の一戦、心に残るシーンを振り返った。
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聖地甲子園に念願のナイター設備が導入されたのは1956年5月12日の巨人戦だった。左中間方向にうっすらと夕焼けの残る午後7時10分、阪神・渡辺省、巨人・安原の先発で始まった。
詰めかけたファンは7万人!もちろんスタンドには収まりきらず、ラッキーゾーンやファウルグラウンドにロープを張って、記念試合を一目見たいというファンをぎゅうぎゅうに詰め込んだ。
両軍1点ずつ奪い合って迎えた七回から、2番手のマウンドに上がったのが小山正明だった。
この年、プロ4年目で開幕投手を務めた小山だが、まだ魔球・パームボールの習得には至っていない。つまり、ほとんど直球だけで勝負するピッチャーだった。
その七回、5番・宮本からの3人を軽く料理すると八回も三者凡退。そしてその裏、巨人の2番手・義原が崩れる。1死から連打と連続四球で阪神が勝ち越しに成功。さらに打者・小山が右前2点適時打で勝利を確定づける。
「お客さんが来てくれるんは巨人戦だけ。重みを感じて投げてたし、特にあの日はすごかったなあ」
最後は打撃の神様・川上哲治を二飛に打ち取ってゲームセット。直球だけで3回を6奪三振、パーフェクトと巨人をなで切った。
それまでは「大阪球場を借りてナイターをやるか、蒸し風呂みたいな甲子園でデーゲームやるかしかなかったからね」。甲子園の夏の風物詩はこの日、小山の投打にわたる大活躍から始まった。