藤田平氏 1厘差「命がけ」V争い、2000安打達成…伝統の一戦通算2000試合

 偉大なるOBたちが華麗なプレー、豪快な一打で歴史を積み上げてきた伝統の一戦が、5月15日の対戦で通算2000試合目の節目を迎える。阪神で監督も務めたデイリースポーツ評論家・藤田平氏(73)が思い出の一戦、心に残るシーンを振り返った。

  ◇  ◇

 “殺気”が漂った時代だ。「巨人戦は今も独特な雰囲気はあるが当時は命がけ」。中でも藤田が鮮明に覚えている試合は1973年10月11日の後楽園。阪神が首位。2位・巨人とゲーム差なしの勝率1厘差で優勝争いの真っただ中だった。

 「既に江夏が23勝、上田が22勝していた。一歩も退けない。エース級がどんどん投げた」。先発・江夏豊や上田二朗(当時)ら5投手のリレー。阪神が二回までに7得点したが六回に逆転される。

 「何とかせな」と、藤田は2点を追う七回に17号ソロ。七回はさらに1点を追加し同点に。八回は両軍それぞれ1点を加えた。

 結果は9回の末、10-10のドロー。当時の延長規定は開始から3時間20分までで、この日は3時間35分の死闘。「今でも苦い記憶」。優勝の行方はシーズン最終戦へ。勝った方がリーグVの直接対決で猛虎は敗れた。

 当初、伝統の一戦の印象は違うものだった。巨人戦初出場はプロ1年目の66年4月23日(後楽園)。「素晴らしい環境だった。応援するチームに関係なく、好プレーに観客がひとつとなって拍手してくれた」。その空気は次第に変わっていく。

 村山実と長嶋茂雄、江夏と王貞治。そして藤田はプロ入り同期の堀内恒夫。ライバル関係の構図が強くなり、緊迫感も増した。「甲子園の客席もきれいに右翼側と左翼側に分かれた」。両軍ファンで聖地も真っ二つだった。

 宿敵から決めたのも因縁か。83年5月3日の後楽園。九回に放った左前打がプロ通算2000安打目。猛虎一筋で現役を終えた唯一の名球会打者。偉業の一本も巨人戦だった。

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