前阪神・ブリーデン氏が死去 さらば赤鬼…ラインバックと「史上最強」コンビ

 「赤鬼」の異名を取り、1970年代後半の阪神を支えたハル・ブリーデン氏が3日に米ジョージア州リースバーグの自宅で死去したことが11日、分かった。76歳。米オールバニ・ヘラルド電子版がこの日までに伝えた。来日1年目から40本塁打を記録した優良助っ人をしのび、当時のチームメートからも多くのコメントが寄せられた。

 打席に立つと、かみタバコで頬を膨らませた顔が、みるみる紅潮する。半袖のユニホームから伸びる太い腕で、ボールをたたきつぶす。76年にエクスポズから阪神に移籍したブリーデン氏は、甲子園の左翼席へ何度も豪快なアーチをかけ、虎党を熱狂させた。

 現役大リーガー、その名にたがわぬ活躍だった。左投げ右打ちという珍しいスラッガーで、5月には5球団から1試合2本塁打を放つ離れ業をやってのけた。同じ年に入団した左打ちのラインバックとのコンビは、史上最強と称され、85年にも劣らない強力打線を形成した。

 ラインバック、田淵、ブリーデンの中軸に、中村、藤田の1、2番。8番には入団3年目で、頭角を表してきた掛布が控える。123試合に出場し、打率・261、40本塁打、92打点の数字を残したブリーデンをはじめ、田淵39本、掛布27本など、どこからでも一発が飛び出す打線で、当時のリーグ記録を更新するチーム本塁打193本を記録。シーズン最終盤まで巨人との優勝争いを繰り広げた。

 77年は打率・236と1年目より大きく数字を下げる形となったが、満塁本塁打3本を記録するなど37本塁打、90打点と活躍。78年は右膝痛に悩まされ、最終的に右膝靱帯(じんたい)損傷と診断され、完治は難しいとの判断から、シーズン途中で戦力外通告を受けたものの、通算3年間で260試合に出場し、打率・251、79本塁打、194打点。現役引退後にはジョージア州の郡保安官を務めていた。

 性格の良さもあって、チームにも溶け込んだ優良助っ人。当時の吉田義男監督をはじめ、多くのチームメートが別れを惜しんだ。

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