阪神・二保 亡き恩師からの遺言「移籍は大きい。38歳、39歳くらいまでやれる」

 九州国際大付の監督として阪神・二保を指導し、7月27日に肝細胞がんのため死去した若生正広氏(享年70)。東北高校の監督時代にダルビッシュ有(現パドレス)を育てた名将は生前、ソフトバンクからトレードで阪神に移籍した教え子に、デイリースポーツを通じて“遺言”を残していた。

 出会いは二保が中学3年の時。若生氏はキャッチボールを見て「どうしても遠心力で投げる子供が多いんだけど、旭(二保)は遠心力を使わずに自分の腕の力で投げていた。有(ダルビッシュ)を初めて見た時と同じだったんだよね」とダイヤの原石だと確信した。

 高校に入学した後、まず目に付いたのは高い身体能力。「足がめちゃくちゃ速かった。200メートル走で陸上部に勝ったこともあったと思う。体にバネがあって運動のセンスがあった」。過度な投げ込みはさせず、徹底的に課したのは柔軟性を高めるストレッチだった。

 それはダルビッシュを育成した時と同じやり方で「股関節が柔らかくなればピッチングは上がる。高校生の間は体作りが一番大事だと思うので、技術的な練習はあまりやらない」という自身の信念に基づいた指導。冬場は300メートル走を30本など、過酷な下半身強化メニューが日課だった。

 プロ入り後も年に一度は顔を合わせ、右腕から近況報告を聞くのが楽しみだった若生氏。「旭には気持ちの強さがあった。いい根性をしていたよ。移籍は大きいと思う。またチャンスをもらえたわけだからね。僕は38歳、39歳くらいまでやれると思ってる」。今、天国から見守っている。

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