元阪神マイク仲田氏が託す忘れ物「最後のパーツ埋まるはず」 92年とダブる神宮決戦
1992年。阪神は今季と同様にシーズン終盤までヤクルト、巨人と三つどもえの優勝争いを繰り広げ、2ゲーム差の2位で優勝を逃した。同年に14勝を挙げ、エースとしてチームを支えたのが、“マイク仲田”こと仲田幸司さん(57)だった。阪神は8日から首位・ヤクルト(神宮)との直接対決に臨む。当時はヤクルトに屈し、涙をのんだ左腕が後輩へエールを送った。
後輩の奮闘が29年前と重なる。仲田さんは目を細め、当時を回想した。「状況は似ているね。阪神、ヤクルト、巨人で優勝を争ってね」。現在は大阪府内の建設会社に勤務しながら試合をチェック。古巣の活躍は活力だ。
ただ、92年とは違う結末を願う。当時は大熱狂から大暗転でV逸。苦い記憶は鮮明に脳裏に焼き付いている。
「悔いしかない。見えていたゴールテープを切れなかった。今年は頑張ってほしいね」
当時と今季の阪神は類似点が多い。92年は、1軍実績がなかった亀山と新庄が大活躍。投手陣は仲田さん、中込、湯舟らが奮闘。オマリー、パチョレックも好調だった。
今季は新人の佐藤輝、中野らが台頭。西勇、青柳らが形成する投手陣は安定感がある。マルテ、スアレスら外国人の貢献度も高い。
終盤まで僅差で優勝争いする展開も29年前と似ている。今季は首位・ヤクルトと1差の2位で、5日から9試合の遠征に出発。8日から神宮でヤクルトとの重要な3連戦に臨む。
92年は9月19日に2位・巨人に3差とし、残り15試合で同22日からビジター13試合の遠征に臨んだ。
当時はこの遠征がターニングポイントの1つだった。仲田さんは「『試合を消化すれば優勝や』という雰囲気だった」。浮ついた空気のまま、22日・巨人戦から4連敗。その後は持ち直したが、違和感は消えなかった。
「優勝というパズルがあるとすると、それぞれが埋めなきゃいけないパーツを見落として、全員が1つを埋めにいこうとしていた。だから、他で穴ができてしまった」
焦りは自身の投球にも影響を及ぼした。10月6日。1差の首位で、2位・ヤクルトと神宮での直接対決に臨んだ。残り5試合。勝てば優勝へ近づく一戦で先発を託された。
0-0の七回1死。広沢を1-2と追い込んだ後、見せ球の内角直球の制球を誤り、バックスクリーンへ運ばれた。「一生忘れられない。ボール1個分だけ甘く入った」。チームは零封負け。さらに、この敗戦を含む5連敗が響いてV逸。あの時、冷静さがあれば…。後輩には悔いを残さないプレーを願う。
今季は残り14試合。今回の神宮3連戦は優勝争いで重要となる。だが、92年とは違って追う立場で臨む。
「挑戦者だし、選手には自分の仕事に徹してほしい。そうすれば自然と最後のパーツは埋まるはずだから」
仲田さんにとって92年は、伸び悩んで迎えた9年目だった。暴飲暴食をやめ、背水の覚悟で臨んで14勝を挙げた。だが、満足感は残らなかった。「優勝したかったよね」。後輩を信じ、29年前の“忘れ物”を託した。
◇仲田 幸司(なかだ・こうじ)1964年6月16日生まれ、57歳。沖縄県出身。現役時代は左投げ左打ちの投手。興南から83年度ドラフト3位で阪神入団。92年に14勝(12敗1セーブ)を挙げ、最多奪三振(194)を獲得。96年にFAでロッテ移籍後、97年現役引退。通算成績は335試合57勝99敗4セーブ、防御率4.06。