【阪神ドラフト選手特集・森木大智(2)】浜口監督と6年間“二人三脚”
10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた8選手(1~7位、育成1位)の連載をお届け。第2回もドラフト1位・森木大智投手(18)=高知=を取り上げる。
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小学生時代から高岡第二イーグルス、県選抜「高知ボーイズ」で頭角を現した大智。ある人物から「ぜひ一緒に野球をやろう」と声がかけられた。当時、高知中の監督だった高知高・浜口佳久監督。大智を6年間指導し、プロ入りへの道のりをともに歩んだ恩師だ。
強引な勧誘ではなかった。「野球への取り組みが小学生ではないくらい一生懸命。もっと良くするために、バランスとか体幹強化とか、ウチの野球部はこういう事をしてるからと伝えました」と浜口監督。そんな方針にマッチングし、大智は高知中進学を決めた。
入学後も「どういうピッチャーになりたいかというところに寄り添っていくような態勢をとった」と、将来像を一緒に描いていった。最適な環境の下、大智はメキメキと成長を遂げる。そして3年夏、四国大会の決勝。軟式で150キロを計測し、一躍全国に名をはせた。
大智の高知高進学に合わせて、周囲からは浜口監督の異動に期待する声と反対の声の両方が上がった。ただ、浜口監督は「自分がいなくてもできるよう中学で指導してきた。(大智からも)一緒にやってくださいとかはない」ときっぱり。結局は正式な人事発表で浜口監督も高知高に就任。“二人三脚”は続き、大智は1年春からベンチ入りするなど順調に成長していった。
だが、野球人生で1番の挫折が待ち受けていた。高2秋の四国大会1回戦で高松商に敗戦。大智が完投も、不安定な立ち上がりから修正できず5失点と崩れた。「なぜこの大事な試合に。1週間前まで、すごく調子良かったのに何でだろうって…」と浜口監督。これまでになかった経験に、大智だけでなくチーム全体が落ち込んだ。
そこからは模索の日々。ただ、浜口監督は高松商戦について追究しなかった。「悔しい思いはあるだろうから、練習することで時間が解決してくれるんじゃないかなと。逆に『そういう日もあるんだ』って」。代わりに、今までの取り組みを検証し、今後の対処法を徹底的に考えた。
例えば、試合中に不調を感じたらベンチ裏でメディシンボールでトレーニングし、感覚を調整。動作と連動させることで修正を試みた。過程の中では、紅白戦でチームメートに打ち込まれて泣き崩れたことも。それでも、徐々に前を向いていった。「セメントがひもになった感じです」と大智。凝り固まっていたものが、するするとほどけていった。
大智には心に残っている言葉がある。中3夏の最後のミーティングで、浜口監督がこう語りかけた。「誰かのためにできるように」。この言葉を体現してきた大智。そして、そんな大智に多くの人が引きつけられていく。
◆森木 大智(もりき・だいち)2003年4月17日生まれ、18歳。高知県出身。184センチ、90キロ。右投げ右打ち。投手。小学1年からソフトボールを経験後、3年時に高岡第二イーグルス(軟式)で野球を始める。高知中3年時に春夏の全国大会優勝。夏に愛媛・坊っちゃんスタジアムで軟式球ながら150キロを計測。高知では1年春の四国大会からベンチ入り。3年春に自己最速の154キロを記録。最後の夏は県大会決勝で明徳義塾に敗れ、高校3年間での甲子園出場はかなわず。