【阪神ドラフト選手特集・桐敷拓馬(1)】守りたいポジションは投手の1択しかなかった
10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた8選手(1~7位、育成1位)の連載。3人目はドラフト3位・桐敷拓馬(22)=新潟医療福祉大。今回はその幼少期を振り返る。
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生まれた時からたくましかった。1999年6月20日、拓馬は桐敷家の第3子として誕生。体重4045グラムのビッグベビーだった。「お母さんが大変な思いをして産みましたよ。病院で他の赤ちゃんと並んでいても全然違う。探さなくてもすぐに分かりましたね」と父・徹さんは振り返る。
花農家を営む実家。切り株を引っこ抜いていく力強さ、北海道を開拓した時の馬のようなたくましい子になってもらいたいという願いを込めて「拓馬」と名付けられた。その名の通り、丈夫な体を持ち、よく食べ、一日中外で遊ぶくらい活発な少年となった。
物心ついた頃から野球は遊びの一つだった。「ずっとお兄ちゃんの背中を追っていましたね」と徹さん。2つ年上の兄・隼人さんと一緒に、父が投げるゴムボールをプラスチックのバットで打ったりするなど、何をするにも兄のまねっこをする少年だった。
少年野球チームに入ったのは、小学校入学前の6歳。小学2年生だった兄が友達と地元にある「屈巣ニュースターズ」に入団すると、拓馬も同じようについて行った。「お兄ちゃんが大好きだから、『お兄ちゃんがやることはやりたい』と言って、ついて行ってしまいました。打ってもボールは飛ばないし、バットに振られるぐらいでしたよ」。徹さんは懐かしそうに思い返す。
まだ小学校に入る前の拓馬は試合に出ることはできなかったが、みんなと一緒に練習するだけで大満足だった。練習がない日でも、家の近くにある田んぼや広場で父や兄とキャッチボールをするなど野球にのめり込んだ。ただ、守りたいポジションは投手の1択しかなかった。
どうしても立ちたかったマウンド。しかし、ホームまでボールが届かない。小学校入学後も「8番・右翼」が定位置だった。「パパ、いつ投手をやらせてくれるの」「届くようになってからな」-。繰り返された親子の会話。練習の合間にはアピールするように父を座らせて投球練習し、3年生になるとようやく届くようになった。これを機に“桐敷投手”が誕生。目標を達成させると、そこからメキメキと技術も向上していった。
【アラカルト】
◆生まれ 1999年6月20日。埼玉県鴻巣市出身の22歳
◆サイズ 178センチ、90キロ
◆投打 左投げ左打ち
◆血液型 O型
◆球歴 6歳から屈巣ニュースターズで野球を始める。川里中では行田シニアに所属。本庄東では1年夏からベンチ入り。新潟医療福祉大は1年秋からリーグ戦登板
◆最速 150キロ
◆球種 スライダー、ツーシーム、チェンジアップ、フォーク
◆好きな食べ物 カレー
◆趣味 オートレース観戦
◆ニックネーム キリ
◆家族構成 父、母、姉、兄