【阪神ドラフト選手特集・桐敷拓馬(2)】順風満帆じゃなくとも…辞める選択肢はなかった

 本庄東時代の桐敷(家族提供)
 行田シニアに所属していた桐敷(家族提供)
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 10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた8選手(1~7位、育成1位)の連載。3人目はドラフト3位・桐敷拓馬(22)=新潟医療福祉大。

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 幼少期から目指してきた投手になるという夢を小学3年生の時にかなえた。ただ、そこからの野球人生は順風満帆なものではなかった。控え投手、希望とは異なる進路…。それでも、大好きな野球を辞めるという選択肢は一切なかった。

 「屈巣ニュースターズ」の3年秋に背番号1を託された。実った投手に対する熱意。元々は肩が強かった6年生に投手を任せる予定だったが、捕手に回した。素質を見込まれてか、初代監督の内田さんは「この子は大事にするといいよ」と周囲に話し回っていたという。

 川里中では、友人に誘われて行田シニアに入った。だが、エースだった小学校時代とは違い立場は控え投手でBチーム。「投げるチャンスがなかなか、なかったんですよね。我慢して行っていたのかなと」と父・徹さん。辞めて中学にある軟式野球部に入るという選択もあったが、「辞めたい」と言ったことは一度もなかった。

 中学3年の冬。大きな選択をする時がきた。桐敷は背中を追い続けてきた兄・隼人さんが通う高校への進学を希望。ただ、入学するにはもちろん学力が必要だった。「12月最後の模擬テストで基準値に届いていないとお兄ちゃんのところに入れないよ」と、徹さんから課されたノルマ。しかし、結果は基準値を満たさず。望み通りの学校を受験することができなかった。

 高校は家から1時間ほど離れた本庄東に入学。目指していた高校ではなかったが、野球に没頭する姿は変わらなかった。朝5時台の始発電車に乗り、朝練に参加。毎日、クタクタになって家に帰ってきた。1年夏からベンチ入りを果たし、同年秋から背番号1に。3年間で甲子園出場こそ果たせなかったが、心身共に成長した時間を過ごした。

 高校3年の夏、再び訪れた進路選択。いくつかの大学から声を掛けられ、セレクションにも参加したが、行きたい大学は決まっていた。高校1年時にコーチとして指導してくれた鵜瀬亮一監督が指揮を執る新潟医療福祉大。この選択が桐敷をさらに大きく成長させた。

 ◆桐敷 拓馬(きりしき・たくま)1999年6月20日生まれ、22歳。埼玉県出身。178センチ、90キロ。左投げ左打ち。投手。屈巣小1年から屈巣ニュースターズで野球を始める。川里中では行田シニアに所属。本庄東では1年夏からベンチ入り。新潟医療福祉大は1年秋からリーグ戦登板。直球の最速は150キロ。球種はスライダー、ツーシーム、チェンジアップ、フォーク。

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