【阪神ドラフト選手特集・岡留英貴(1)】平和に野球ができる幸せを胸に
10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた8選手(1~7位、育成1位)の連載。5人目はドラフト5位・岡留英貴投手(22)=亜大。
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まだ心地よい風が吹く11月上旬の沖縄。後にプロ野球選手となる岡留家の長男・英貴は、そんな南国の地で産声を上げた。「『すごい大きかったよ』というのは(両親から)聞きました」と体重4000グラムに迫るビッグベビーだったという。コバルトブルーの海にサトウキビ畑。大自然の中で人生が始まった。
2人の姉、そして妹に挟まれた長男。「あんまり記憶はないんですけど、(姉の)たまごっちはやっていたような…。おままごとはしていないです(笑)」。岡留家のルールで「目が悪くなるから」とテレビゲームは禁止。それでも「いつも友達の家にゲームしに行っていました」という少年だった。
幼少期の思い出は「小学校1年生から野球を始めたので、野球ですね」と白球を追った記憶が大半を占める。その一方で、今でも忘れられない野球以外の思い出もあるという。
「戦争の時の写真があったんですけど。子供が血を流して倒れていたりとか…。今でも覚えています」。生まれ育った故郷の沖縄県糸満市は沖縄戦最後の激戦地。当時を知るオジイ、オバアが定期的に小学校や中学校を訪れ、その言葉を聞くたびに心を痛めた。そして、平和な現世のありがたさをかみしめた。
同市内の平和祈念公園にも学校行事などで年に一度は足を運んだ。「おじいちゃんたちは戦争で亡くなっていないんですけど…」。犠牲になった肉親はいなかったが、郷里の歴史は今も英貴の心に刻まれている。何げなく過ごしている日常がいかに幸せなことか。生きていく上で大切なことを幼い頃に学んだ。
野球を始めたきっかけは父・邦英さんだった。兼城小に入学してすぐ、地元の兼城パイレーツのグラウンドに連れて行かれた。「つらいイメージはないですね。楽しかったです」。周りに比べて体が大きく、任されたポジションは主に一塁手。投手や捕手も経験した。打順は3番か5番。日本のプロ野球を見るより、米大リーグに夢中になる子供だった。
ヒーローは当時ヤンキースに所属していた松井秀喜。「BSでその日の日本人選手のまとめみたいな番組があったんですけど、親と一緒に結構よく見ていましたね」。物心ついた頃から、将来の夢はプロ野球選手だった。
同チームのコーチとして6年間、英貴を指導した宮城博也さんは「みんなから『ヒーデー』と呼ばれるいじられキャラでした」と懐かしそうに振り返る。そして「肩は抜群に強かったです」と一芸に秀でるものがあった。
【アラカルト】
◆生まれ 1999年11月7日
◆出身 沖縄県糸満市
◆血液型 O型
◆サイズ 180センチ、87キロ
◆投打 右投げ右打ち
◆球暦 兼城小1年時から兼城パイレーツで野球を始め、主に一塁手。兼城中では軟式野球部に所属し、捕手兼投手を務めた。沖縄尚学時代は3年夏に2番手投手として県8強。亜大では4年秋に自身リーグ戦初の完投勝利をマークした。
◆座右の銘 一球入魂
◆好きな食べ物 タコライス
◆好きな芸能人 新垣結衣
◆憧れの選手 青柳晃洋
◆家族構成 父・邦英さん、母・郁子さん、姉・志穂さん、姉・早紀さん、妹・万紀穂さん