阪神・岩崎 江夏ほうふつ“炎の21球”しびれた!1死三塁から連続Kで3連勝導く
「阪神3-2中日」(28日、甲子園球場)
あの冷静沈着で鉄仮面を崩さない男が吠(ほ)えた-。阪神は1点リードの九回、1死三塁と絶体絶命のピンチを招いた岩崎優投手(30)が、後続を連続三振に仕留めて虎を今季初の3連勝に導いた。最後は感情をあらわにするなど「炎の21球」で試合を締めた左腕。29日からは敵地に乗り込んで宿敵・巨人と伝統の一戦。きょうも勝つ!!
いつもクールな岩崎が感情を解き放った。1点リードの九回1死三塁。一打同点の場面で木下を外角直球で見逃し三振に斬り、鬼の形相で「ヨッシャー」と吠えた。あと1人。あと1アウトで勝利が決まる。仲間が、虎党が祈るように見つめる中、またプレートに左足をかけた。
「まだ終わったわけじゃなかったので、また切り替えて次のバッターに臨みました」。石川昂には4球連続の直球。最後はこん身の内角144キロ直球で見逃し三振だ。仲間と勝利を分かち合い、ようやく鉄仮面がはがれた。伝説のストッパー・江夏豊をほうふつとさせる魂の21球だった。
まだ歓喜の余韻が残る試合後。しばらく時間が経過すると、岩崎はいつもの岩崎に戻っていた。先頭のビシエドに左中間二塁打を浴びて招いたピンチだったが「冷静だったと思いますけど。変化は特にないです」。最後のガッツポーズは「あ、そうですか。記憶にないです」と少しだけ頬を緩めた。
そんな背番号13は清水東高時代から変わらない。下半身が沈み込む独特のフォームは当時からで、打撃投手を務めた際に内角直球で先輩の金属バットにヒビを入れたこともあった。4番で打線の中心としても活躍。言葉数は少ないが試合前のミーティングでは熱く語ることも多かった。常に、闘志を内に秘めていた。
「もしもプロ野球選手になっていなかったら?社会人野球までは続けたいと思っていたので。できる限りやって、終わったらその会社で普通に働いてたんじゃないですか?」。プロ1年目のオフにそう話していた左腕は、不断の努力で守護神にまで上り詰めた。チームにとって絶対に欠かせない存在になった。
「最後はスグル(岩崎)を信じて応援するだけでしたけどよく投げてくれました」。矢野監督も魂の21球をたたえた。借金13と苦境は続くが、今季初の3連勝と勢いは生まれている。最終回には9試合連続無失点中の新クローザー。岩崎がいる限り、必ず巻き返せる。
◆江夏の21球 1979年11月4日、近鉄と広島の日本シリーズ(7)戦(大阪)。七回途中から登板した広島・江夏は4-3で九回を迎えたが、先頭・羽田は初球を中前打。代走・藤瀬に二盗と悪送球で三塁に進まれ、アーノルドは四球(この回6球)。代走・吹石にも二盗を決められ、平野は途中から敬遠(同11球)。
無死満塁で代打・佐々木は空振り三振(同17球)。続く石渡は2球目にスクイズを仕掛けてきたが、カーブの握りのままウエストし、三走・藤瀬をタッチアウト。石渡は空振り三振に仕留め、21球で絶体絶命のピンチを乗り切った。広島は球団30年目で初の日本一。