〝元祖超人〟糸井の父「幸せな親父でした」 息子の引退報告「心にポカッと穴があいた感じ」
今季限りで現役引退を決めた阪神・糸井嘉男外野手(41)の父・義人さん(74)が21日、19年間の現役生活を終える息子に惜別メッセージを送った。トライアスロン選手として今なお、現役を続ける〝元祖超人〟。寡黙で、あまり表に出ることのなかった父が「夢みたいな時間だった」と涙で感謝の言葉を語った。
夜、携帯電話が鳴った。画面表示に「嘉男」。糸井の父・義人さんは1週間前の衝撃に声を詰まらせる。
「9時ごろだったですかね。『親父、ありがとな』って。突然でこっちは、え、何が?って感じでしたね」
今年で引退することにした-。いずれ…いや、遠くない未来に訪れるだろう覚悟はあった。ただ、現実になると言葉が出ない。
「そんな時期が来るのは分かっていました。でもいざ、あいつの口から聞くと、心にポカッと穴があいた感じでね。19年間、お疲れさん、ここまでよく頑張ったな。それだけしか言えなかった」
京都府北部。宮津湾と阿蘇海を南北に隔てる全長3・6キロの湾口砂州「天橋立」がある。日本三景として有名な景色を眼前に、海と山に囲まれた大自然の中で嘉男少年は育った。74歳になる義人さんは現役のトライアスロン選手。週末は10キロのランニングを欠かさず、バイク、スイムで汗を流す。「超人」のDNAを色濃く映し出すが「肩が痛い、膝が痛いで。もう辞めようかなと思っていたら、嘉男からの連絡。親子で引退、ですかね」と静かに笑った。
19年。父は「夢を見ているような時間だった」と言う。ただ、振り返って思い出すのは、不思議と入団初期の記憶だ。「親としては、海のもんか山のもんか分からん時が、どうだろう、大丈夫かなって、記憶に残っとるんです」。野手コンバートを決断した3年目、6月に電話が掛かってきた。あまり聞いたことのない弱音だった。
「親父、アカンわ。ボールが見えんのよ」。弱々しい声がまだ耳に残る。「そうか…でも、1年契約だから秋まではクビになれへん。雇ってもらえるでって言ったのは、覚えています」。頑張っている息子に、頑張れとは言えなかった。ゼロからのスタート。そこから、どれだけバットを振っただろう。両手のマメがつぶれて汁が出る。固まり、バットを離すと激痛が走るから、握ったまま眠った。
「手からバットが離れんと言われたのがね、ずっと頭に残っとるんです。どこまで練習したらそうなるんだって、そのあと自分でもバットも振って、見たんです。多少のことではなんともならん。あいつはすごいことをやっとるんだろうなってその時思いましたね」
無言の会話で成長
振り返れば幼少期、「怒ったことは一度もない」。嘉男、走りにいくぞと言えば、何キロだって付いてきた。「ワシもあんまり喋(しゃべ)るほうじゃないで、あれが無言の会話だったんだろうな」。中学の頃だ。監督に「もうグラウンドに出てくるな」と怒られた。真に受けた糸井少年は公式戦当日、試合に向かう仲間のバスを家の前から手を振って見送った。
「もう、漫画みたいな話ですけどね。素直で、野球が好きでね。風邪をひいて学校を休んでも、夕方練習の時間になったら『親父、送ってくれ。練習は別だ』って。それくらい野球が好きでしたな」
義人さんは幼少期から阪神ファン。掛布雅之に憧れ、息子も左打ちにさせた。そんな父と子の記憶がFA移籍を実現させた。「息子が、あの掛布さんと同じユニホームを着るんだって、そりゃうれしかったな。甲子園は野球を見る場所だと思ったら、息子がグラウンドに立っとるでしょ。いつまでたっても現実と合わんのですよ。ずっと夢見てる感じでした」。親子で紡いだ奇跡のような軌跡。「まだ見たい。まだやれる」。父としての願いを必死に抑え、最後に言葉を絞り出した。「幸せな親父でした」-。